いつでも政権を担う準備はできている
衆議院議員
裏金問題がこれだけ激しい有権者の怒りを買い、選挙で連敗に次ぐ連敗を重ねているにもかかわらず、岸田政権はほとんど実効性のある改革を決断できずにいる。今回自民党が揉めに揉めた末に出してきた政治資金規正法の改正案も、その中身の無さには驚きを通り越して絶望さえ感じる。
パーティ券の報告基準を20万円から5万円に下げるとか、政策活動費の領収書を10年後に公開するなどは、いずれも今回の裏金問題とは直接関係がない。名前が出るのをいやがる支持者にパーティ券を多少売りにくくなるくらいの違いはあるかもしれないが、これによって裏金を根絶できるわけではないし、党と政治家、政治家と政治団体間の資金移動もこれまで通りできる。
自民党はもはや自浄能力を完全に失ったのか、あるいはお得意の愚民感で、有権者の怒りなどじきに収まるだろうと高を括っているのか。いや、むしろ今回の裏金問題が自民党政治の根幹に関わる問題であったがゆえに、現行の政治資金規正法に実効性のある制限をかけてしまうと、多くの自民党議員が選挙を戦えなくなってしまうということなのかもしれない。いずれにしても岸田政権が行き詰まっていることだけは誰の目にも明らかだ。
もっとも政治資金については、カネのかかる政治の構造や体質を放置したままでは、どれだけ法律を厳しくしても、政治家は必ずカネを捻り出す方法を考え出す。それが政治家という職業を続けるための前提条件となるからだ。今回のような政治資金規正法のお化粧直し程度の改革では、カネが物を言う政治は残念ながらまったく変わらないだろう。
そして、カネのかかる政治の最たるものが自民党の総裁選だ。派閥が必要なのも、派閥単位で資金を集めなければならないのも、すべて自らが推す候補を総理総裁に押し上げることが唯一にして最大の目的だ。自分たちの親分が総理総裁になれば、自動的に美味しいポストも降りてくる。もちろんポストには多くの美味しい利権が付いてくる。これが自民党政治の根本原理だ。マネーポリティクスの象徴とも言うべき自民党総裁選を放置したまま、カネのかからない政治を実現することなど到底あり得ない。しかし、今回の裏金問題を受けたメディアの論調も、また党内から出てくる改革案も、総裁選のあり方を変えなければならないという声はどこからも聞こえてこない。
また、カネの流れが可視化されると献金ができなくなるという、寄付する側の姿勢も大問題だ。もともと政治資金規正法はその第一条で謳われているように、政治活動を国民の不断の監視と批判の下に置くことを目的としており、その中には当然、寄付者が可視化することで、金権政治や利益相反の政治が行われていないかをチェックすることも含まれる。匿名ならいいが顕名では寄付できないと当たり前のことのように言えてしまう今の政治と企業の文化が、政治腐敗を生んでいるもう一つの原因だ。
さて、いよいよ行き詰まってきた岸田政権だが、ここに来て一つ政権浮揚のためのウルトラCが取り沙汰されている。それが国会閉会後に茂木幹事長を退任させ、国民的な人気の高い石破茂元幹事長をその後任に据えるという人事だ。昨日あたりから共同電などで「国会閉会後に内閣改造か」などというアドバルーンが上がっているのは、閣内に茂木幹事長の受け皿を作る必要があるからで、事の本質は内閣改造ではなく幹事長人事にあると見るべきだろう。
元々石破氏の要職起用は岸田政権の後ろ盾となってきた麻生副総理が過去の因縁などから石破氏を嫌っているために実現してこなかったとされる。しかし、ここに来て派閥の解散や政治資金規正法改正案をめぐり岸田首相と麻生氏の関係は決定的に悪化しているとされる。そのため、逆に首相としては麻生氏の意向にこれまでほど配慮しない人事を断行する可能性が出てきている。それが石破幹事長説に現実味を持たせている。
問題は石破氏が受けるかどうか。もし受けた場合、この秋の自民党の総裁選への出馬は断念することになるが、と同時に石破幹事長となれば、これまで不遇をかこちながら国民や党員の人気が常にトップクラスに君臨してきた石破氏が、押しも押されもせぬポスト岸田の一番手に踊り出ることにもなる。また、幹事長として党改革で存在感を示せれば、石破氏の国民的な期待感にかげりが出てしまう可能性もある。
昨今の政治状況について政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が議論した。