1978年愛知県生まれ。2007年大阪市立大学医学部卒業。23年ジョンズ・ホプキンズ大学公衆衛生大学院修士課程修了。医学博士。救急科専門医、集中治療専門医。名古屋大学医学部附属病院助教、救急外来医長などを経て22年より現職。同年より愛知県本部災害医療コーディネーター。DMATとして能登半島地震発生直後から石川県珠洲市に派遣。
1月1日の午後に能登半島を襲った大地震は、3週間経った今も多くの被災者が十分な医療や住環境を確保できずに苦しむ状況が続いている。
震災発生直後にDMATのメンバーとして被災地に入った医師で名古屋大学医学部附属病院救急科診療科長の山本尚範氏は、大勢の人々が厳しい環境下に置かれている被災地では医療のみならずあらゆるサポートが欠けている現状を目の当たりにしたという。
実際、被災地では今も水道が復旧しない中、今後の見通しがまったく立たない多くの被災者が、「自分たちは世界から忘れられてしまったのではないか」との不安に駆られている。震災発生直後はともかく、それから何日、いや何週間が過ぎても、医療、食料、衣服の替え、入浴など人間が最低限必要とするサポートを受けられない人が大勢取り残されたままだ。このままでは、辛うじて震災を生き延びても、その後の国や自治体からのサポートが足りないために命を落としてしまう「災害関連死」が増えるのは避けられない。本来、このようなことは先進国ではあってはならないはずだ。
実際、被災地から数十キロしか離れていない金沢市内では、人々はスターバックスコーヒーで憩いの時間を過ごし、スポーツジムでエクササイズに没頭する、文字通り普段通りの生活が営まれていた。スーパーマーケットもコンビニエンスストアも物が溢れ、何一つ品薄にはなっていなかった。
つまり、近隣まで物資は十分に届いているのに、被災地に入った瞬間にあらゆる物が不足する極限状態が出現する。そして、その状態がいつまでも続いてしまう。これは国や自治体に、震災に対する備えができていなかったところに根本原因があるといわざるを得ない。
日本は1995年の阪神・淡路大震災と2011年の東日本大震災の2つの大震災に加え、2004年の中越地震、2016年の熊本地震など、ここ20年あまりの間にいくつもの大きな震災を経験してきた。そして、その度に被災者のサポート体制の不備が問題となってきた。なぜ日本はいつまで経っても過去の震災の教訓を次の震災で活かすことができないのか。
そもそも過去の震災の経験則を蓄積し、問題点を整理し、次の震災に活かすのは、政治の役割ではないのか。必要に応じて政治が法律を制定し、新たな制度や機関を作ることで、そこに過去の経験則やノウハウや反省が蓄積され、それが次の震災で活かされるような枠組みを作らなければならないのではないか。
しかし肝心の政治は、パーティ裏金問題に揺れるばかりで、とても集中して震災に対応できる体制が出来ているとは思えない。多くの被災者が生死の狭間で苦しんでいるというのに、メディアでは裏金がどうした派閥がどうしたといったニュースが日々トップを飾るのを見れば、被災者が自分たちが「忘れられてしまった」との不安を抱くのも当然のことだ。
震災発生直後にDMATで被災地に入った山本医師と、政治ジャーナリストの角谷浩一、ジャーナリストの神保哲生が、震災対応の現状となぜ日本の政治が過去の震災の失敗の教訓を活かせないのかなどについて議論した。