TPP交渉で知財分野は日本の完敗だった
弁護士
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1965年熊本県生まれ。91年東京大学法学部卒業。93年弁護士登録、98年コロンビア大学法学修士課程修了。99年ニューヨーク州弁護士資格取得。東京永和法律事務所、シンガポール国立大学リサーチスカラー、内藤・清水法律事務所(現青山総合法律事務所)パートナーなどを経て2003年骨董通り法律事務所を設立、同代表パートナーに就任。10年より日本大学芸術学部客員教授を兼務。著者に『「ネットの自由」vs.著作権』、『著作権の世紀』など。
野球ファンなら記憶に新しい「清武の乱」。2011年の日本シリーズ前日に、読売巨人軍のGM(ゼネラルマネージャー)だった清武英利氏が、突如として読売新聞社の主筆であり読売巨人軍の会長も兼務する読売グループのドン渡辺恒雄氏を公然と批判する会見を行った。巨人軍のコーチ人事を巡る確執だった。しかし、球界を驚愕させたこの騒動の陰で、ある著書の出版が暗礁に乗り上げていることはあまり知られていない。そして、その出版をめぐる紛争が、どうもおかしな展開を見せているのだ。
この紛争は元々読売新聞社会部の記者だった清武氏が、巨人軍のGMとして渡辺氏を批判する記者会見を行い解雇された後、「読売社会部清武班」の著者名で出版予定だった書籍『会長はなぜ自殺したか──金融腐敗=呪縛の検証』の出版を、読売新聞社側が取りやめたい旨を出版社側に申し入れ、出版社がこれを拒否したために、読売側が出版の差し止めを求めて出版社を訴え裁判になっていたというもの。
この著作は、元々1998年に読売新聞社会部の著者名で新潮社から出版された同タイトルの著書の復刻版という位置づけで、作家佐高信氏が監修者となって選んだ「ノンフィクション・シリーズ“人間”」に収められる予定になっていた。原書は既に絶版となっている。
読売側はこの著書の原書は読売新聞の社会部の記者たちが執筆したものであり、それは著作権法上の「職務著作」に当たることから、復刻版の著作権も読売新聞に帰属する。よって、著作権者の読売が出版を取りやめたいと言っている以上、出版社はその著書を出版できないと主張している。
これに対して出版元の七つ森書館は、既に読売新聞社会部次長との間で出版契約が成立しており、執筆者の一人であり原書の出版当時読売新聞社会部次長だった清武氏も出版を承諾している以上、出版を取りやめる必要はないと主張し、この著書は2012年5月に実際に出版されていた。
読売はこの出版を差し止めるために東京地裁に差し止め請求の仮処分申請を行い、最高裁まで争った結果、出版を差し止める仮処分命令が下されていた。そのため、現在この本は販売できない状態にある。
4月16日には東京地裁で清武氏や契約書に捺印をした当時の社会部次長だった星春美氏、七つ森書館の中里英章社長らが証言台に立った。それぞれ自らの立場を主張していたが、どうにも違和感を拭えなかったのが、この裁判がなぜか著作権をめぐる高度に技術的な裁判になってしまっていることだった。
出版契約書の押印が社会部次長のものだったり、原書では読売新聞社会部だった著者名が、復刻版では読売社会部清武班に変わっているなど不可解な点はあったにせよ、もともとこの本が問題なく出版される運びとなっていた事だけは間違いない。公判で星氏が、もろもろの問題は「当時、読売グループ内で政治力を持っていた清武氏が解決してくれるものと考えていた」と証言しているように、この本は本来は問題なく出版されるはずだったのだ。つまり、市民社会はこの本の恩恵を受けることができるはずだった。それが「清武の乱」という単なる読売グループ内の内紛によって、読売側が自分たちに反旗を翻した清武氏名義の本を出版することなどまかりならんと言いだし、出版を取りやめようとしたことから、紛争に発展していたのだ。
ところが裁判では、この本、並びにその原書となった著書の著作権が誰に帰属するのかが、もっぱら争われていた。つまり、出版が取りやめになった理由が正当なものだったかどうかなどは、そもそも裁判の争点にさえなっていないのだ。
ところが、著作権に詳しい弁護士の福井健策氏は、単純に著作権上の観点から見ると、この本は「職務著作」に該当する可能性が高く、その意味では読売側の主張に分があるように見えると言う。これはつまり、読売側に出版を取りやめる正当な権利があるということになる。
しかし、そもそも著作権が何のために認められている権利であるかを、その法理まで遡って考えた時に、職務著作や著作権だけである著書の出版が止められてしまうことには違和感を禁じ得ない。
その点を福井氏に質したところ、興味深い答えが返ってきた。福井氏によると、著作権には無条件でそれを書いた著者に帰属する自然権であると考える大陸法的解釈と、著作者の利益を守るために職務著作などを広く認めるアメリカ的な解釈があるという。現在、日本はその中間に位置しているため、どちらを優先するかはまだ決着がついていないということだが、職務著作を認める場合は、そこに守られるべき経済的な利益があることが前提にあるという。つまり、読売が職務著作を主張するためには、その本を出されることで読売側が不利益を受けることが証明される必要があるということになる。
どうも日本では大陸法とアメリカ法の中間といいながら、いいとこ取りを許している風潮もありそうだ。自然権としての著作権、つまり大陸法的には著作権はあくまでそれを書いた著者に認められる権利であり、それが法人に認められることはないと福井氏は言う。
そもそも著作権は何を保護するために存在するのか。著作権さえ認められれば、その著作を自由にコントロールできるのか。日本でも広がっているアメリカ法の職務著作とは何か。弁護士の福井健策氏のインタビューをもとに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者宮台真司が議論した。