2015年03月14日公開

美濃加茂市長収賄事件

何の証拠もない事件でも無罪を勝ち取るのは容易ではなかった

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ゲスト

1955年島根県生まれ。77年東京大学理学部卒業。同年三井鉱山入社。80年司法試験合格。83年検事任官。公正取引委員会事務局審査部付検事、東京地検検事、広島地検特別刑事部長、長崎地検次席検事などを経て2006年退官。桐蔭横浜大学法科大学院教授、名城大学教授を経て14年から現職。著書に『検察が危ない』、『検察崩壊 失われた正義』など。

著書

概要

 「被告人を無罪とします」
 3月5日午後2時、名古屋城にほど近い名古屋地裁の2号法廷で鵜飼祐充裁判長から藤井浩人美濃加茂市長に対して、「無罪」が言い渡された瞬間、法廷内を一瞬、静寂が襲った。公判をフォローしてきた関係者の間では無罪を予想する向きが多かったが、それでも実際に現職首長を逮捕し、62日間にもわたり勾留した汚職事件で、本当に無罪判決が言い渡されるかどうかについては、「何があっても不思議ではない感」がぎりぎりまで法廷を覆っていた。
 それは無理からぬことだった。そもそもこの事件は、それが事件として成り立っていること自体が不思議といってもいいような、おそまつな事件だった。現職市長を汚職で逮捕したまではいいが、市長に一貫して金銭の授受を否定されると、出てくる証拠らしい証拠が事実上、贈賄側の証言しか存在しない。市議時代の藤井氏に30万円を渡したという贈賄側の会社社長中林正善氏は、4億円近い融資詐欺の常習犯で、贈賄の証言も、融資詐欺の取り調べの中で出てきたものだった。しかも中林氏は、市長の汚職を証言すれば、自分の融資詐欺の量刑を軽くしてもらえることを重々認識していた。つまり、虚偽の証言を行う明確な動機もあった。
 しかし、それでも警察は市長を逮捕し、検察はこれを起訴した。これで現職市長を逮捕したり起訴したりするのが、日本の刑事司法制度の現実なのであれば、虚偽の証言を行う明確な動機を持つ贈賄側の被告の証言一つで有罪判決が出てもおかしくはない。この裁判は、日本の刑事司法の劣化が、警察、検察で止まっているか、それとも裁判所まで波及してしまっているかを見極める試金石になる裁判と言ってもよかった。
 この事件で最後に裁判所は良識を示した。鵜飼裁判長は現金の授受が行われたという事実自体がまったく立証されていないという、検察の主張を全面的に否定する厳しい判断を下した。
 しかり、藤井市長の主任弁護人を務める郷原信郎弁護士は、全く根拠のない証言に基づくでたらめな裁判であることが一目瞭然の事件であったにもかわらず、判決が近づくと、一抹の不安があったことを認める。
 裁判所が弁護側の主張を認めて無罪判決を出せば、検察の面子は丸つぶれとなる。これは検察にとっては、刑事司法史上類を見ない大きな汚点と言ってよかった。これまでの検察と裁判所の蜜月な関係を考えると、裁判所が証拠を無視して、もっぱら組織論的な理由から有罪判決を出してしまう可能性はゼロとは言えないのではないか。僅かでもそんな不安は残っていた
 判決後の会見で郷原弁護士は真っ先に、裁判所の英断に敬意を表することを忘れなかった。日本という国は、これほどまでにでたらめな裁判でも、無罪を勝ち取ることが容易ではない国であることが、あらためてクローズアップされる結果となった。
 郷原氏は今回の検察の犯罪性の立証方法は、旧態依然たる調書中心主義を踏襲するもので、公判での証拠や証言が重視されるようになっている昨今の裁判では通用しなくなっている手法だったと指摘する。
 しかし、検察側が贈賄側の被告と協力しながら調書を作成し、その内容をリハーサルよろしく、しっかりと被告と打ち合わせをすれば、公判の場でも調書と同じような法廷証言は可能になることもまた、事実だった。
 今回はたまたたま贈賄側の中林氏が、起訴されていない融資詐欺事件を多数抱えている事実を弁護側が掴み、市長への贈賄を虚偽証言する動機の存在を証明できたので、贈賄側の証言が信用できないと判断され、無罪を勝ち取ることができた。しかし、起訴されていない融資詐欺の存在を弁護側が掴んだのは、リーク報道を通じてだった。たまたまその報道を見て、検察に証拠の開示請求を申請したところ、4億円近い融資詐欺の存在と、その時点で中林氏が2100万円分の詐欺でしか起訴されていない事実が明らかになったのだった。これはいわば偶然の結果だった。
 また、中林氏が虚偽証言をする動機の立証も、たまたま中林氏が勾留中に隣の房にいた別の事件の被疑者O氏に、雑談まじりに「収賄を証言すれば詐欺の量刑が軽くなる」と話していた。O氏から藤井市長に手紙でその情報がもたらされたことで、弁護側の知るところとなり、裁判で弁護側がO氏を証人に呼ぶなどして、中林氏側の「虚偽の証言の動機」の証明に成功したというのが、事の経緯だった。これも偶然の産物だった。
 これはいずれも藤井氏が希に見る幸運の持ち主だったことを示している。報道レベルでは無罪判決が当然のような論評もあるようだが、実際はこうした幸運がなければ、藤井氏が無罪を勝ち取ることができたかどうかはわからない。少なくとも裁判所が無罪判決を書くことを、より強く躊躇したことは間違いないだろう。
 また、この事件では首長としては日本最年少となる30歳の藤井市長が、62日間の勾留とその間の高圧的な取り調べに耐え、虚偽の自白を行わなかったからこそ、無罪判決を勝ち取ることができた事件でもあった。郷原氏も、もし藤井氏が供述段階で現金の授受を認めていたら、どんなに証拠が希薄であっても、無罪を勝ち取ることは難しかっただろうと語っている。
 藤井氏は警察の取り調べで「美濃加茂市を焼け野原にしてやる」とか「こんなはなたれ小僧を市長に選んで」などと、高圧的で暴力的、かつ侮辱的な取り調べを受けたことを証言している。
 つまり、この事件は希薄な証拠でも、若い市長を引っ張って締め上げ、周囲の支援者や関係者も軒並み選挙違反で挙げていけば、藤井氏はいずれ自白するだろう。そうすれば、証拠が弱かろうが何だろうが有罪にできるだろうと、警察や検察が、当初は安直に考えていた結果、取り返しの付かないような重大な事態に至ってしまった事件だった疑いが否定できない。安直に考えていた事件が、予想外の市長の頑張りに加え、検察の手の内を熟知する元特捜検事の郷原氏が弁護人に就いたことで、当初の目論み通りにいかなくなった。それでも検察は入手した証拠に合わせて中林氏に証言をさせるべく、「証人テスト」と称して「連日朝から晩まで」(郷原氏)打ち合わせを繰り返したが、結局、後付けのストーリーでは弁護側の立証を覆すまでには至らなかった。
 藤井氏に対する高圧的な取り調べも、検察と中林氏との「連日朝から晩まで」の「証人テスト」と称する打ち合わせも、取り調べが可視化されていれば、いずれも容易に防ぐことができるものだ。しかし、法制審議会の答申に基づいた取り調べの可視化案では、可視化の対象は全体の2%に過ぎない裁判員裁判対象事件と特捜事件に限られるため、今回のような汚職事件は可視化の対象にすらなっていない。
 さまざまな面で現在の刑事司法制度の問題点を露わにしたこの事件の教訓を、主任弁護人の郷原氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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