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従軍慰安婦の記事を書いたことで週刊誌などで名指しで批判されていた元朝日新聞記者の植村隆氏が、1月9日、東京・有楽町の外国特派員協会で行った記者会見では、朝日批判をする記者の多くが、いわゆる「吉田証言」報道と、植村氏の書いた慰安婦に関する記事の区別さえついていないという意外な事実が明らかになった。
植村氏の会見である日本人ジャーナリストは、「あなたは自分が被害者であることを強調するが、あなた自身は吉田証言の記事を何本書いたのか」と質問し、驚いた植村氏が「私は吉田証言の記事は一本も書いていません」と言下に否定する場面があった。
植村氏は朝日新聞記者だった1991年に従軍慰安婦に関する記事を2本書いているが、これは朝日新聞が1982年以降繰り返し掲載し、昨年8月に過ちを認め撤回したいわゆる「吉田証言」記事とは全く別物だ。時系列的にも吉田証言の報道から9年後のことであり、元慰安婦自身の証言を最初に報じた植村氏の記事にも「騙されて慰安婦にされた」との表現はあるが、強制的に連れて行かれたという表現は見当たらない。
にもかかわらず植村氏が朝日による慰安婦の誤報の象徴であるかのように扱われるようになった契機は、植村氏が2014年2月6日号の週刊文春で、朝日新聞を早期退職し神戸の女子大教授に就任することが報じられたことだった。文春の記事は植村氏の個人名を明かした上で、植村氏の1991年の記事に「挺身隊」、「連行」といった言葉が使われていたことが、日本軍による強制連行があったかのような印象を与えたとして、「捏造といっても過言ではない」とする識者のコメントを掲載していた。
この記事以降、植村氏に対するバッシングが始まり、就職が内定していた大学にも多くの抗議が寄せられたため、植村氏は大学側から教授就任を辞退するよう求められていた。
さらに、植村氏が現在非常勤講師を務める北星学園大学にも、脅迫の手紙が繰り返し届いているほか、植村氏の個人情報や家族の顔写真などが無断でネット上に晒され、脅迫や無言電話などが後を絶たない状況になっていた。
一般の市民ならいざ知らず、大手報道機関の記者までが、植村氏の記事と吉田証言記事との区別が付かないまま朝日批判をしていたようなのだ。なぜこのような単純な事実誤認が起きるのか。そしてなぜそれがチェックもされないまま増幅していくのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。