2014年07月19日公開

国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分

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ゲスト

1980年神奈川県生まれ。2003年東京大学法学部卒業。同大学法学政治学研究科助手を経て06年より現職。著書に『憲法の創造力』、『憲法の急所』、『平等なき平等条項論』など。共著に『憲法学の現代的論点』など。

著書

概要

 政府が「集団的自衛権」と呼んでいるものは何のことはない、実は個別的自衛権のことだった。
 安倍政権が7月1日に集団的自衛権の容認を閣議決定したことを受けて、7月の14、15の両日、衆参両院で集中審議が行われたが、両日の国会審議を通じて、今回政府が行った「解釈改憲」というものは、実際はわれわれが考えてきた「憲法解釈の変更」や「集団的自衛権の容認」とはまったく異なるものだったことが浮き彫りになった。
 憲法学者の木村草太首都大学東京准教授は、この国会審議で政府が今回行った集団的自衛権の容認は、実はこれまでの憲法解釈を変更し、これまでは足を踏み入れることが認められていなかった「集団的自衛権」の領域に足を踏み入れるものではないことが明らかになったと指摘する。閣議決定で「集団的自衛権」と呼んでいるものは、実際は個別的自衛権と集団的自衛権が重複する領域にある事象で、今回政府はそれを必死になって探し出し、それを集めたものを無理矢理「集団的自衛権」と呼んでいるだけであって、実際はこれまでの個別的自衛権の範囲を一切超えるものではないと木村氏は言うのだ。
 それが明確に答弁として木村氏があげるのが、15日の参議院予算委員会集中審議における福山哲郎参院議員と横畠裕介内閣法制局長官のやりとりだったという。
 そこでは「政府が憲法解釈を変更するのは戦後2度目のことか」と問い質す福山議員に対し、横畠長官は「法令の解釈は当てはめの問題だが、その意味で「変更があったのか?」ということならば、一部変更したということ」と回答している。木村氏はこれを「横畠長官の職人技の光るもの」だったと評価する。
 これは法律学者に向けた発言だったと断りをした上で、木村氏は横畠長官の答弁をこう解説する。
 横畠長官が「当てはめの問題」としたものは、つまり今回政府が「集団的自衛権を行使できる事例」として出してきたものはいずれも、集団的自衛権と見ることもできるが従来の個別的自衛権の枠内で武力行使が可能な事例と見ることもできるものばかりだ。つまり、個別的自衛権と集団的自衛権が重複する部分にある事例ということになる。それを従来の個別的自衛権の範疇にあるものと見るか集団的自衛権に入るものと見るかは単なる「当てはめ」の問題に過ぎないというのが、横畠氏の答弁の趣旨だったと木村氏は言う。
 それをあえて集団的自衛権側に「当てはめ」るのであれば、これを「2度目の憲法解釈の変更」と言って言えないことはないが、それはどっちでもいいこと、というのが横畠長官の発言の趣旨であり、それを法律家に向けて半ば隠語的な意味で発信していたのだと自身が法律家である木村氏は指摘する。そういえば、あの時横畠長官はこれが戦後2度目の解釈改憲であることを認めるという重大な答弁をしていながら、なぜかその表情には薄笑いが浮かんで見えた。違和感を持った人もいたかもしれないが、そこにそういう含意があったとすれば妙に納得がいくのも事実だ。
 木村氏はこれまで政府が「個別的自衛権」として容認してきたものの中に、集団的自衛権と重複する部分、つまり個別的自衛権の範疇だと言うこともできるし、集団的自衛権の枠内に当てはめることもできる事象は少なからずあったことから、今回の8事象の容認というのも、実際には過去の重複部分の容認と変わるものではないと指摘する。
 そもそも自民党と連立を組む公明党は集団的自衛権を行使するためにはあくまで憲法改正が必要になるとの立場を崩していない。その公明党が今回の政府案を容認した背景には、公明党にとってはこれが個別的自衛権の範疇を出るものではないと解釈することが可能なものだったからに他ならない。しかし、理由は定かではないが、安倍政権、いや特に安倍首相自身がどうしても「集団的自衛権の行使が可能になった」と言いたがっている。ならば、「当てはめ」次第でそう強弁しても嘘にはならない事例を、内閣法制局と公明党が合作したというのが、今回のいわゆる「集団的自衛権の容認」劇の核心だったということになる。
 確かに法律家の目から見るとそれが真実なのかもしれない。しかし、両日の安倍首相や岸田外相の答弁を見る限り、政治家の多くはあの場で横畠氏と世の法律家の間で交わされた暗号通信の意味を正確に理解していないことは明らかだ。恐らくそれは質問をしていた岡田克也議員や福山哲郎議員についても言えることだろう。だとすると、いくら官僚や法律家が法律の専門的な知識を駆使して、実際は解釈改憲とは言えないような代物を作っておきながら、解釈改憲と言いたくてしょうがない政治家には「解釈改憲をしたと言っても差し支えはありませんよ」と甘言するような二重構図は非常に危険と言わねばならない。
 なぜならば、最後に法律を作るのは国会であり政治家だ。そしてそれを行使するのも政治家がトップを務める内閣だし、トップレベルで外交を行うのも政治家だ。実際に安倍首相や岸田外相らは、自分たちの勝手な理解に基づく集団的自衛権容認論を海外で大っぴらに喧伝し始めている。内閣法制局と公明党幹部の間の阿吽の呼吸などというものが、外国政府との外交交渉の場で通用するとはとても思えない。官僚が悪知恵とも呼べるような手法で、政治家の要求と法律との整合性を保てるような玉虫色の解を出して、とりあえずはその場を収めることができたとしても、その効力はせいぜい霞ヶ関から半径1キロの範囲程度にしか及ばないだろう。そして、何よりもまず、主権者である国民がそのような法律家たちの解釈を共有できていなければ、何の意味もない。
 やはり課題となるのは今回の「疑惑の解釈改憲」に基づいて、実際の法律の整備が行われる時だろう。もし今回の閣議決定が横畠長官が答弁したようなものだとすれば、新しく整備される法律は個別的自衛権の範疇をはみ出すものは一切できないということになる。そのような法律家の認識を前提として法案審議が行われるか、現時点では内閣法制局官僚の手の平の上で踊ったような形になっている政治家が主導権を握り、自分たちの理解する閣議決定の解釈に則った法律を作ってしまうか。そして、それをメディアやわれわれ国民が許すのか。今、それが問われている。
 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、集団的自衛権容認の核心とは何だったのか、何か今後の課題となるかなどを気鋭の憲法学者木村氏と議論した。

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