新型インフルエンザとのつきあい方
長崎大学熱帯医学研究所教授
1964年広島県生まれ。90年長崎大学医学部卒業。長崎大学熱帯医学研究所助手、京都大学大学院医科研究科助教授、長崎大学熱帯医学研究所助教授、外務省国際協力局を経て07年より現職。99~00年JICAジンバブエ感染症対策プロジェクト・チーフアドバイザー、03~04年ハイチ・カポジ肉腫・日和見感染症研究所上級研究員。著書に、『感染症と文明 共生への道』、『新型インフルエンザ 世界がふるえる日』など。
新型コロナウイルス感染症は一時は収拾がつかなくなっていた欧米諸国が、落ち着きを取り戻しつつあるのに対し、日本は依然として正確な感染状況が把握できていないこともあり、早くも2週間後に控えた緊急事態宣言の期限の延長が取り沙汰される事態となっている。まだまだ行動制限による新型コロナウイルスの抑え込みが必要な日本ではあるが、同時に、抑え込みに躍起になっている今だからこそ考えておかなければならないことがある。それは、ロックダウンかマイルドロックダウンかはともかく、どう考えても現在のような行動制限を未来永劫続けられるわけがない以上、その出口のタイミングとそれ以降われわれはコロナとどう向き合っていくのかという問題だ。
感染爆発の抑え込みに失敗した国やその危険性に瀕した国が、医療崩壊による大量の死者を避けるためには、とりもなおさずまずは感染拡大の抑え込みを優先せざるを得ない。そのフェーズで誰もが感染しないためのあらゆる努力を払うしかない。しかし、一旦、危機的な状況を乗り越えた後は、いつまでもただ単に抑え込みを続けていればいいというわけにはいかない。抑え込みによる経済的な損害や精神的な負担も大きいことももちろんだが、同時に、医療崩壊を起こさない範囲でという条件付きながら、われわれはゆっくりと感染者を増やしていくことによって新型コロナウイルスに対する抗体を持った人口の割合を一定程度まで引き上げ、免疫の壁を作る必要がある。それができない限り、早期にワクチンの開発にでも成功しない限り、このウイルスは人類にとって常に現在と同じような脅威であり続けることになるからだ。
『感染症と文明』などの著書があり、感染症の歴史に詳しい長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、望むと望まざるとにかかわらず、この地球上に新型コロナウイルスというものが登場してしまった以上、人類はそのウイルスと共存するための道を探っていくしないと語る。それと徹底的に戦い、最後にはそれを撲滅させるという手もあるではないかと思う向きもあるだろうが、そもそも撲滅させることは容易なことではないし、また必ずしもそれは得策ではないかもしれないと山本氏は指摘するのだ。
それはどういうことか。例えば人類は天然痘の撲滅に成功した。感染症を引き起こすウイルスで人類が完全に克服したのは、後にも先にも天然痘が最初で最後なので、これこそが人類の感染症医学の金字塔のように称賛されることが多い。また、確かにこれが大変な功績だったことも間違いない。しかし、天然痘のウイルスが撲滅したことによって、その後に生まれた人類は撲滅前に生まれた人類が持っている天然痘に対する抗体を持っていないことになる。もし、将来、撲滅したと思っていた天然痘が何らかの理由で復活したり、あるいはそれと似通った感染症が登場した時、どちらの人類が生き残るチャンスがより大きいか。そのような意味も含めて、人類にとってウイルスというものは、単に抑え込んだり撲滅すべき対象と受け止めるべきではないと山本氏は言うのだ。
実際、人類にとってウイルスは、共存の方法を見つけるまではもっぱら恐ろしい存在だが、いざ共存の道を見つけることができれば、むしろ多様なウイルスや多様な感染症を抱えている状態の方が、そうしたものとは無縁の状態よりも、より安定していると考えることができるのだと山本氏は言う。
これはスペイン人が新大陸に渡り、たった200人でアステカ帝国やインカ帝国を滅亡に追い込むことができたのは、ユーラシアには数多くの感染症があり、スペイン人はその抗体を持っていたが、北極圏の氷に阻まれてユーラシア方面からウイルスが入ってこなかった新大陸はいわば無菌状態にあったため、スペイン人が無自覚に持ち込んできた数々のウイルス感染症によって抗体を持たない新大陸の人々が一網打尽にされてしまったものと考えられていると山本氏は言う。
新型コロナウイルスも当面の医療崩壊を避け致死率を下げながら、共存の道を探っていけば、人類は2、3年以内に免疫の壁の目安となる人口の6~7割が抗体を持った状態を作ることは可能だろうと山本氏は指摘する。また、そうなった時、人類にとって新型コロナウイルスは他の4つのコロナウイルスと同じような、単なる風邪のウイルスの一つになっている可能性が大きいだろうと山本氏は言う。実際、今日のわれわれにとっては単なる風邪の原因でしかない4種類のコロナウイルスも、初めて登場した時ときは、今の新型コロナに匹敵するような猛威を振るっていた可能性が大きいのだと山本氏は言う。
無論、新型コロナウイルスは「新型」なので、まだ未知の部分もある。一度罹りさえすれば誰もが未来永劫免疫を獲得ことができるのかどうかも、まだ確実なことはわかっていない。また、一時は新型コロナの致死率は季節性インフルエンザよりも遙かに高いとみられていたが、ニューヨークの抗体検査や日本の慶応大学病院の検査結果などから、ここにきて実際の感染者数が当初予想されていた数の20倍以上にものぼっていた可能性が指摘されるようになり、その場合は致死率は季節性インフルエンザの0.1%と変わらないか、もしかしたらそれよりもずっと低くなる可能性すら指摘されて始めている。ことほどさように新型コロナについては、まだわからないことが沢山あるのだ。
その一方で、数年以内にはワクチンや治療薬が開発される可能性もある。未来は神のみぞ知るだ。しかし、一つはっきりしていることは、新型コロナウイルスが人類にとって決して最後の「新型」ウイルスとはならないだろうということだ。地球温暖化などの環境の急激な変化によって、地球上に人類に影響を与える新たなウイルスが登場する頻度は確実に上がってきている。どんな感染症であろうが、強い病原性を持つウイルスに対しては、まずは人命を優先しなければならないが、危機的な状況を乗り越えたらやはり共存の道を探っていくのが現実的だろうし、人類にとって他に選択肢はないようにも思える。
感染症と人類文明という観点から山本氏と、新型コロナウイルスとの向き合い方や「コロナと共存する」ということの意味、新型コロナは社会のあり方をどう変えるのかなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。