なぜ官僚はそこまでやるのか
神戸学院大学現代社会学部教授
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授
1983年京都府生まれ。2006年慶應義塾大学総合政策学部卒業。12年同大学同研究科博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学助教、立命館大学大学院特別招聘准教授などを経て、15年9月より現職。著書に『メディアと自民党』、『なぜ政治はわかりにくいのか』など。
緊急事態宣言が発令され、いよいよ日本も本気でCOVID-19の抑え込みにかからなければ、爆発的感染(オーバーシュート)などが起き、取り返しのつかない惨禍に見舞われる恐れが現実のものとなりつつあるところまで状況が進んでしまった。
原因は必ずしも定かでないが、諸々の条件から中国、韓国や一部の欧米諸国と比較すると、これまで感染の拡大が比較的軽微に抑えられてきた可能性の大きい日本だったが、政府も市民の側もそのボーナスをやや無駄に浪費してしまった感があることは否めない。
とは言え、まだ遅くはない。いや、まだ遅くないかどうかは最終的な結果を見てみなければわからないが、遅かろうがどうだろうが、今われわれはできることをやるしかない。
しかしその「できることをやる」上で、気になることがある。それは、どうもわれわれが、危機に際して単純思考に陥る傾向が強いことだ。これは世界中どこの国でも大なり小なりそのような傾向があるものなのかもしれないが、緊急事態だとかロックダウンだとか言う言葉が独り歩きをし始めると、社会の方々で過剰にその言葉に適応しようとする動きが見られ、それに加わらない人に対するバッシングなども起きる。
かと思うと、しばらく時間が経って自粛疲れなどが出始めると、周囲も緩んでいるのを確認した上で、人々は一斉に街に繰り出してしまうようなところがある。まさにその現象が3月末の連休中に起きたことで、もしかするとそれが後になって日本のコロナ対策における最も重要な局面だったことが明らかになる可能性すら指摘されている。
いずれにしても今は、できる限り政府の行動制限の要請に協力し、当面の感染拡大の抑え込みに集中することが不可欠なことは論を俟たない。しかし、同時にコロナとの戦いが明らかに長期戦になることも念頭に置いておく必要がある。ワクチンや画期的な治療薬が開発されるまでは、人口の一定比率、それも恐らく半数以上が感染し抗体を獲得することで免疫の壁が作られるまで、コロナウイルスの感染拡大は止まらないと考えられている。現在は短期間の感染爆発により医療崩壊を防ぐという大目的のために行動制限を実施しているが、行動制限を強化すればするほど、免疫の壁の確立までに時間がかかることも事実だ。今年抑え込みに成功すれば、来年ウイルスの集団感染が起きるリスクがかえって高まるというジレンマの中にわれわれは置かれていることを忘れてはならない。
安倍首相自身が「長期戦」という言葉を使っているように、コロナとの戦いが年単位の長期戦になることは明らかだ。当面の感染爆発の抑え込みに成功したとしても、その後の長期戦略が不可欠となる。その際は、いつまでも強力な行動制限ばかりを課し続けるわけにもいかないだろう。経済活動の縮小による経済的なリスクも、既に人の命に直結する大問題になりつつある。場合によってはコロナに感染して死亡するよりも遙かに多くの人が、経済的要因の犠牲者になるとの指摘もある。極度に人と距離を置くことが推奨されることから生じる社会的な分断や、その結果としての孤独死やうつなどの社会的なリスクや共同体の崩壊、そして国際的には感染拡大を阻止する目的で一旦は閉じた国境を再び開放し、以前のようなグローバル化の世界に再び戻すのかどうかなども、予め議論をした上で、よくよく考えておかなければならないことだろう。
日本では目の前に大きな危機が迫っているタイミングで「その後」の議論をすること自体が不謹慎扱いされる向きも一部であるようだが、せっかくの春日和の4月、外に出かけられない分、ただ巣ごもりして家で燻っていてもつまらない。少しコロナとその後のことをわれわれと一緒に多角的に考えてみようではないか。
というわけで今週は気鋭の社会学者・西田亮介氏とともに、新型コロナウイルスとその対策がもたらす社会への影響とそのリスクなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
なお、ビデオニュース・ドットコムでは緊急事態宣言の発令を受けて、新型コロナウイルスの特設ページを設け、感染症やウイルスや公衆衛生の専門家らのインタビューや記者会見などを随時無料で配信しています。新型コロナウイルス(正式名称はサーズ・コロナウイルス2=SARS-CoV-2)やそのウイルスが引き起こす新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、及びその対策については、特設ページの方もご参照ください。