未曾有の円安で日本が完全に没落する前に
一橋大学名誉教授
1940年東京都生まれ。63年東京大学工学部卒業。72年エール大学経済学博士号取得。64年大蔵省(現財務省)入省。主計局、一橋大学教授、東京大学先端工学研究センター長などを経て2001年退官。スタンフォード大学客員教授、05年より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て17年より現職。著書に『戦後経済史―私たちはどこで間違えたのか』、『平成はなぜ失敗したのか』など。
5月1日から始まる新しい元号も発表になり、30年続いた平成もいよいよ最後の月を迎えた。
バブル景気の熱狂のさなかに始まった平成は、冷戦の終結に湾岸戦争、幾度かの金融危機に2つの大地震と原発事故等々、実に多くの歴史的なできごとがあった。
しかし、一橋大学名誉教授で経済学者の野口悠紀雄氏は、平成を一言でまとめるなら「日本が世界経済の大きな変化から取り残され、その国際的地位を右肩下がりに下げた30年だった」といわざるを得ないと苦言を呈す。その上で、日本は平成の30年間、世界に何が起きているかわからずに、「寝てしまった」というのだ。今、新しい時代を迎えるにあたり、平成の失敗を総括し、その教訓を元に改革を進めていかなければ、令和の時代も日本の国際的な地位の低下には歯止めがかからないだろうと、野口氏は言う。
野口氏の言う世界経済の大きな変化は「ソ連の崩壊」「中国の台頭」「IT革命」「製造業の垂直統合から水平分業への移行」などだ。この変化に対応するために、日本は輸出依存の大量生産型の製造業から脱却し、低賃金労働力のある海外へ生産拠点を移転した上で、水平分業型の製造業への構造転換にいち早く取り組む必要があった。しかし、当然のことながら、改革は痛みを伴う。経営者も政治家も、この痛みを甘受することができず、様々な言い訳をつけて、必要とされる改革を先送りした。その結果が日本の国際競争力の喪失であり、平成の始まる直前には一時、世界のトップクラスの経済力を手にしながら、この30年で事実上の二等国へ転落してしまった最大の理由だった。
やや手遅れ感はあるが、野口氏は令和の時代に日本が最低限しなければならないこととして、産業構造の転換、移民や高齢者、女性の活用を通じた労働力不足への手当、うなぎ登りの社会保障費の抑制、間もなく世界一の超大国になる隣国中国との関係、そして規制緩和などをあげる。逆に、それができなければ日本の右肩下がりの凋落は続き、日本の将来はお先が真っ暗だということになる。
平成の時代を振り返り、来るべき令和の時代にわれわれが何をしなければならないかを、野口氏とともにジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が考えた。