いまや国民病となった花粉症が鳴らす人類への警鐘とわれわれはいかに向き合うか
東京農業大学国際食料情報学部教授
1963年群馬県生まれ。85年東京大学理学部物理学科卒業。87年同大学院理学系研究科修士課程修了。雑誌記者、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所非常勤講師などを経て、2006年より現職。情報セキュリティ大学院大学客員准教授を兼務。著書に『ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃』、『ゲノム編集からはじまる新世界』、『AIが人間を殺す日』など。
クリスパーと呼ばれる新しいゲノム編集技術の登場で、あらゆる生物の遺伝子を意のままに書き換えることが可能になってきた。この技術はさまざまな生物学現象の解明や食料生産、遺伝性の病気の治療などへの応用が期待される一方で、デザイナーベイビーやスーパーヒューマンの登場も現実味を帯びてきていることから、これまで神の領域とされていた遺伝子情報を人間が自由に操作することの是非が、今後倫理面でも議論を呼ぶことは必至だ。
クリスパーは英語でCRISPR (clustered regularly interspaced short palindromic repeatの頭文字を取ったもので)直訳すると「クラスター化され、規則的に間隔があいた短い回文構造の繰り返し」となる。これは遺伝子情報DNAには規則的に同じ配列が現出することを、大阪大学微生物病研究所の石野良純氏(現九州大学大学院農学研究院教授)らが1993年に発見したことに端を発する技術で、その配列の繰り返し自体は、太古の昔に細菌がつくりあげたウイルスの侵入に対する防衛機構であることが解明されていた。その防衛機構を人為的に操作することで、狙った特定の遺伝子の書き換えに利用する技術が、2013年にアメリカとフランスの研究者によって開発されたCRISPR-CAS9(クリスパー・キャスナイン)と呼ばれる技術だ。
1970年代に登場した遺伝子組換え技術は主に食料生産に多く利用されてきたが、従来の遺伝子組み換え技術では、外来遺伝子をゲノムの中の特定の位置に入れることが難しく、効率も悪かった。しかし、クリスパーによって、狙ったDNAの書き換えを低コストで短時間のうちに行うことが可能になった。しかも、その難易度も大幅に低くなり、「高校生が学校の課題でできるレベル」(小林氏)なのだという。
クリスパーによって遺伝子編集のハードルが劇的に低下し、様々な遺伝子編集の実験がこれまでの常識では考えられないほど容易になったことで、遺伝子編集研究の裾野が大幅に広がることはメリットも多い。医学や食料生産などの分野では、多くの成果が期待できるだろう。しかし、これまで一部の研究機関に限られていた遺伝子の組み換えが、「誰でも容易にできる技術」になってしまうことで、新たに多くの問題が沸き上がってくることは必至だ。
病気の治療に適用されているうちはまだいいが、遺伝性疾患の予防に有効だとして、クリスパーの技術を受精卵に用いることが認められれば、特定の身体能力を伸ばすような遺伝子操作を行う誘惑に、おそらく人類は勝てないのではないか。また、そこら中で遺伝子をいじるアマチュア科学者が出てくれば、例えば遺伝子を改変された微生物を下水に流してしまうなどして、生態系に予想不能な危害を及ぼしてしまうかもしれない。
生命医学や食品の分野での遺伝子操作の是非をめぐる倫理面や安全面からの論争は以前から続いているが、クリスパーの登場で誰もが簡単に遺伝子の改変ができるようになった今、いかにその技術をコントロールしていくかは人類全体にとっての大きな課題となっていると言っても過言ではないだろう。「何ができるか」と「何はやっていいか」を明確に識別していく知恵が求められている。
『ゲノム編集とは何か』、『ゲノム編集からはじまる新世界』などの著者・小林雅一氏と、クリスパーが拓く人類の未来の可能性と危険性などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。