安倍政権の下で無法地帯と化した霞ヶ関をどうするか
千葉大学名誉教授
1946年神奈川県生まれ。中央大学経済学部卒業。72年中央大学大学院法学研究科修士課程修了。専修大学法学部助教授、立教大学法学部教授、シェフィールド大学客員教授、千葉大学法経学部教授などを経て2011年より現職。公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所理事長を兼務。著書に『司法よ!おまえにも罪がある─原発訴訟と官僚裁判官』、『原子力規制委員会』など。
この3月11日、日本は原発事故から7年目を迎える。
放射能漏れの報を受け、着の身着のままで自宅から緊急避難したまま、未だ故郷に戻れない人の数は7万人を超え、事故を起こした福島第一原発の事故処理も依然として先が見えない手探りの状態が続く一方で、安倍政権は原発を貴重なベースロード電源と位置づけた上で、2030年のエネルギー需要に占める原発の割合を20~22%と規定し、原発の再稼働を着々と進めている。
福島第一の事故原因も100%究明できたとは言えない状態の中で、原発の再稼働にお墨付きを与えているのが、事故後、「独立した立場」から原発の安全性を評価するために設置された、原子力規制委員会と呼ばれる行政機関だ。法的には環境省の外局という位置づけにあるため、完全に独立した行政機関とは言えないが、とは言え国家行政組織法3条に基づく、いわゆる3条委員会であり、政府からの一定の独立性が保障されていることになっている。
そもそも原子力規制委員会は、事故前の原発の安全性が「原子力安全・保安院」と呼ばれる経済産業省の一部局によって審査されていたことの反省の上に設立されている。経産省は安全・保安院を通じて原発の安全性を審査する一方で、エネルギー産業を所掌し、原発を推進する官庁でもあった。一つの組織がアクセルとブレーキの両方の機能を任されるという、本来はあり得ない体制の上に日本の原発は運営されていたために、結果的に、絶対に事故を起こしてはならないはずの原発の安全基準が、極めて杜撰なものとなり、人類史上最悪の原発事故を引き起こしてしまったというのが、その反省の中身だった。
その反省を受けて、事故後の原発行政の最大の課題は、いかにして政府から独立した中立的な機関によって、原発の安全性が審査される体制を作るかにあった。
原子力規制委員会は国家行政組織法3条に基づく3条委員会として一定の独立性と中立性が担保されているという触れ込みで発足していた。しかし、5人の委員から成る委員会の委員の人選において、原子力産業の受益者は本来、委員になる資格がないことが法律に明記されているにもかかわらず、当時の野田政権は別途ガイドラインなるものを作成し、5人のうち3人の委員について、原子力業界に深く関連した組織に所属していた人物を採用してしまった。
しかも、野田政権を引き継いだ安倍政権は、原子力産業と縁の薄い残る2人の委員を僅か2年で交代させ、代わりに原子力産業の重鎮を新たに委員に任命するなど、委員会は当初の「独立」や「中立性」とはほど遠いものへと変質していってしまった。
当初、活断層の上に設置された原発の再稼働は認められないと主張し、原発の再稼働に厳しい立場を取った地震学者の島崎邦彦氏も、そうして交代させられた委員の一人だった。
行政学が専門の新藤宗幸千葉大名誉教授は、原子力規制委員会の独立性は名ばかりで、実際は政府の原発継続にお墨付きを与えるだけの御用委員会になっていると指摘する。
実際、安倍政権が掲げる、2030年のエネルギーの20~22%を原発で賄う計画を実現するためには、原発30基の再稼働が不可欠となる上、12基程度の原発は、規制委が自ら設定した40年の耐用年数を60年に延長しなければ実現ができない。
新藤氏は、規制委は一見、中立的な立場から技術論を展開しているように見えるが、最初から結論ありきの議論をしているに過ぎないと考えるべきだと語る。
現在の安全基準の中に避難計画の評価が含まれていないことも、免震重要棟など今回の事故で重要性が明らかになった施設の設置については5年間の猶予を与えたことも、いずれも「最初から結論ありき」から来ているものだと言う。そうしなければ、原発の再稼働はできないし、20~22%のベースロードも実現が不可能になるからだ。
なぜ日本は政治から真に「中立」で「独立」したチェック機能を持った独立行政委員会を作ることができないのか。どうすれば、日本でも国民の信頼に足る規制機関を作ることができるのか。政府から独立、中立的とは言えない原子力規制委員会がお墨付きを与えた原発の再稼働を、われわれはどう受け止めるべきか。行政のあり方に厳しい意見を投げかけ続けてきた新藤氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。