トランプ7300万票の意味を考える
慶応義塾大学SFC教授
1967年北海道生まれ。90年上智大学外国語学部卒業。92年ハーバード大学大学院東アジア地域研究科修士課程修了。97年同大学大学院人類学部博士課程修了。博士(社会人類学)。ケンブリッジ大学、英オックスフォード大学、ハーバード大学客員研究員などを経て、2006年より現職。著書に『アメリカのジレンマ・実験国家はどこへゆくのか』、『沈まぬアメリカ 拡散するソフト・パワーとその真価』など。共著に『反グローバリゼーションとポピュリズムー 「トランプ化」する世界』など。
「パクス・アメリカーナ」が、いよいよ終焉を迎えつつあるようだ。しかし、そこに一帯一路を掲げて台頭する習近平の中国は、一体どのようなオルタナティブな価値を提示しようとしているのだろうか。
先のトランプ大統領の初来日では、植民地と宗主国の関係を彷彿とさせるような日本の異様なまでの歓待ぶりが目立ったが、実はあの時、大統領は日本を皮切りに12日間にわたりアジア諸国を歴訪していた。トランプにとっては大統領就任以来最長の外国歴訪であり、最大の外交舞台だった。
しかも、その中には今や世界の2大覇権国となりつつある米中の首脳外交も含まれており、世界はトランプ外交の行方とともに、米中関係の変化が今後の世界秩序にどのような影響を及ぼすかを固唾をのんで注目していた。
しかし、結論から言えば、外交の舞台に出ても、はるばるアジアまでやってきても、やっぱりトランプはトランプだった。
トランプ大統領は超大国アメリカの国家元首として、行く先々で盛大な歓迎を受けたが、その一方で、アメリカ側から今後国際社会の中でどのような役割を果たしていく用意があるかについての意志表明は、ほぼ皆無だった。また、トランプは安全保障やその他のデリケートな外交問題も、ほぼ例外なくビジネスディール(取引)の感覚で受け止めていることを隠そうともしなかった。
これは選挙戦当初からアメリカ第一主義を掲げ、全てをディール(取引)と位置付けてきた不動産王のトランプとしては、至極当然のスタンスだったのかもしれない。
しかし、アジア諸国を歴訪中に、例えば中国やフィリッピンでは人権の問題に全く触れず、行く先々でどれだけのビジネス取引を成立させたかばかりを勝ち誇るトランプの姿からは、アメリカという国がもはや自由主義陣営の盟主の座はおろか、その普遍的な価値を守っていく気概さえも失ってしまったことを感じ取らずにはいられない。
一方の中国は、これまでアメリカを始めとする欧米の自由主義陣営の国々から、民主主義や人権の分野での遅れを常に指摘されてきた。しかし、今回、アメリカからそのような問題提起がなかったことに加え、むしろ欧米諸国の政治が軒並み機能不全に陥っている様を横目に、民主主義に対する懐疑的な考え方にむしろ自信を深めているようだ。
ちょうど共産党大会とトランプ訪中のタイミングに1か月あまり北京大学に滞在していた慶応大学の渡辺靖教授は、中国の共産党エリートのみならず、中間層の間にも、欧米が主張するような民主主義に対する懐疑的な見方が広がっているとの印象を受けたと語る。それは現在の中国の共産党による支配体制に対する自信にもつながり、中国には中国の独自の国家モデルがあり、何も欧米のモデルを真似する必要はないじゃないかという風潮が強まっていると渡辺氏は言う。
古くはローマ帝国から、元、オスマントルコ、大英帝国等々、これまで世界には覇権を握る超大国が一つ存在し、その国を中心に国際秩序が形成されてきた。として、少なくとも20世紀以降は、自由、人権、民主主義などの普遍的価値をベースに圧倒的な経済力と軍事力でアメリカが世界の覇権を握ってきた。
アメリカは経済規模や軍事力では依然として世界で群を抜く超大国だが、一方で、そのモラルオーソリティ(道義的権威)はトランプ政権の発足以後、大きく傷ついている。このアジア歴訪でそれがいよいよ決定的になったとの見方もある。これは、1世紀ぶりに世界が新たな秩序の模索を始めたことを意味するが、その中で中国がどのような役割は果たすようになるのかは、依然として未知数だ。
また、そうした新たな世界秩序の下で、日本の唯一の外交戦略は今のところ「何があってもアメリカについていく」以上のものが見えてこないが、それで本当にいいのか、そこにどんなリスクが潜んでいるのかも気になる。
希代のアメリカウオッチャーとして知られる渡辺氏の目に、トランプを迎える中国はどう映ったのか。アメリカが覇権を失った世界の秩序は、どう推移していくのか。中国から帰国したばかりの渡辺氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。