五輪談合事件に見る、捜査能力の劣化で人質司法に頼らざるをえない特捜検察の断末魔
弁護士
1967年新潟県生まれ。91年関西学院大学社会学部卒。9歳で脊髄を損傷し車椅子生活者となる。メインストリーム協会事務局長を経て、2014年より現職。16年よりユニバーサルデザイン2020関係府省等連絡会議・街づくり分科会メンバー。
1964年の東京オリンピックを機に政府は新幹線や首都高速などの交通インフラや国立競技場、代々木体育館などの公共施設の建設を進め、都内の公共インフラ整備が一気に進んだことはよく知られている。
しかし、1964年に日本がやり残したことがある。そしてそれを実行するチャンスが、2020年に再び回ってくる。
実は、1964年のに東京でアジア初のオリンピックと並行して、世界で二度目となるパラリンピックが開催されたが、1964年の段階で日本にはまだ、都市インフラのバリアフリー化を進めるだけの余裕はなかった。
それから半世紀が過ぎた。その間、世界各国では都市インフラのバリアフリー化やユニバーサルデザイン化が進み、気が付けば日本はバリアフリー後進国になっていた。
2006年に国連で採択された障害者権利条約では、「合理的配慮がないこと」を差別としており日本も2年前に同条約を批准、今年4月に施行された障害者差別解消法も当然その考えをとっている。しかし、今の日本の建物や公共交通機関のバリアフリー基準は、2006年の「(新)バリアフリー法」に基づくもので、とても遅れたものとなっている。
例えば、東京の地下鉄ではまだエレベーターすら完備されていない駅が、多く残っている。ホームに転落防止柵が完備されていない駅も多く、視覚障害者が線路に転落する事故が後を絶たない。エレベーターが設置されている駅でも、車椅子利用者は一旦地上に出て横断歩道を渡り、反対側のエレベーターに乗り直さなければ、乗り換えさえできないところが多い。しかも、エレベーターが設置されている駅でも1基しかないところがほとんどで、それを高齢者やベビーカーの利用者などが共有しているため、いつも長時間待たされる覚悟をしなければならない。
2020年のオリパラの会場となる日本武道館やその他の施設も、車椅子利用者にとってはさまざまなハードルがあり、まだまだ決して高齢者や障害者に優しい施設とは言えない状態にある。
自身が車椅子ユーザーで障害者インターナショナル(DPI)日本会議の事務局長を務める佐藤聡氏は、アメリカを視察した際に衝撃を受ける経験をしたという。
ニューヨークでヤンキースタジアムを訪れた時のことだ。日本でも野球場に車椅子用のスペースは用意されているが、数が少ない上、健常者とは別扱いになるため、友人と一緒に試合を観戦することができない。ところが、ヤンキースタジアムには球場を取り囲むように大きな車椅子用のスペースが確保されていた。そこで一緒に来た健常者と試合を観戦することができる。そして、何よりもヤンキースタジアムは、前の人が立ち上がっても車椅子利用者の視線が遮られないように設計されていた。これをサイトライン(視線)と呼ぶが、前列の観客が立ち上がって、いつも試合の決定的なシーンを見ることができず悔しい思いをしてきた野球好きの佐藤氏は、その徹底ぶりに感動すら覚えたという。
実はこれはヤンキースタジアムに限ったことではない。アメリカでは野球場のような公共の施設は、ADA(Americans with Disabilities Act。 1990年に制定されたアメリカの障害者差別を禁止する法律)のガイドラインに準拠しなければならないことが、法律によって定められている。そこにはサイトラインの確保は言うに及ばず、エレベーターのサイズから通路や出入り口の間口のサイズ、トイレの仕様に至るまで、図入りで厳しい基準が定められている。これは法律による縛りなので、それを守っていない施設があれば、公共施設であろうが民間の施設であろうが、すぐに訴訟を起こされてしまう。このガイドラインはそういう形で強い強制力を持っている。
アメリカのADAから遅れること26年、2016年にようやく障害者差別解消法が施行された日本にも、一応バリアフリー化のガイドラインは存在する。しかし、これはADAガイドラインとは比べようがないほど基準が緩く、しかも民間に対してはあくまで努力目標にとどまっているため、ほとんど徹底されていないのが実情だ。
もう一つ佐藤氏がアメリカで感じたことがある。それは心のバリアフリー化だ。日本では障害者というととかく特別扱いされがちだが、アメリカでは障害者も健常者も「共に生きる」という考えが当たり前のように浸透しているのを感じたという。心のバリアフリーを達成するために佐藤氏は、インクルーシブ教育の重要性を強調する。
何にしても、そんな日本の首都東京に4年後、2度目のオリンピック・パラリンピックがやってくる。2020年を目指してさまざまなインフラ整備が予定される中、バリアフリー化の予算も例年より大幅に増額されている。小池新都知事も所信表明演説で「高齢者や障害者に優しいユニバーサルデザインのまちづくりも推し進め」ると明言した。折しも今年4月に障害者差別解消法が施行されたこととも併せて、東京は今、世界一のバリアフリー都市に生まれ変わるための、千載一遇のチャンスを迎えていると言っていいだろう。
佐藤氏は2年前から積極的にオリパラ組織委員会のガイドライン策定に働きかけを行ってきたところ、当事者が参加して意見を言うことで、だいぶ状況は変わってきたと感じているという。すったもんだの末に決まった新国立競技場も、ことバリアーフリー化については国際標準を達成できる見通しが立ってきているそうだ。
なぜ日本のバリアフリーは遅れているのか。2020年オリパラを機に、日本は世界一のバリアーフリー都市に生まれ変わることができるのか。その前に立ちはだかるものは何か。障害者インターナショナル日本会議事務局長の佐藤聡氏と、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。