シリーズ『小泉政治の総決算』その2小泉政治とは何だったのか
青山学院大学国際政治経済学研究科特任教授
1951年東京生まれ。東京大学法学部卒。東京都立大学教授、政策研究大学院大学教授、東京大学先端科学技術研究センター教授などを経て2012年4月放送大学教養学部教授、16年4月より現職。東京大学名誉教授。専門は近現代日本政治史、オーラル・ヒストリー。博士(学術)。著書に『政治の眼力-永田町「快人・怪物」列伝』、『戦後をつくる―追憶から希望への透視図』、『政治家の見極め方』など。
天皇陛下の生前退位のご意向が7月13日に報じられて以来、天皇制のあり方をめぐる議論が盛んに交わされている。
来週月曜(8月8日)には、陛下ご自身がビデオを通じて「お気持ち」を表明することが発表されているが、マル激ではそれに先立って、この問題で日本人一人ひとりが考えなければならない論点は何かについて、政治学者で天皇制についても造詣が深い御厨貴氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
そもそも今上天皇が非公式ながら生前退位の意向を示したことについて御厨氏は、象徴天皇制のあるべき姿を生涯考え続けてきた今上陛下の深謀遠慮があってのことだろうと語る。御厨氏によると、現在の象徴天皇像はもっぱら今上天皇が作り上げてきたもので、その集大成ともいうべき問題が生前退位問題だった。
言うまでもなく現行憲法の下での「象徴天皇制」は、大きな矛盾を孕んでいる。それは天皇という地位に「世襲」「男系男子」「万世一系」など戦前から続く一定の神性(カリスマ)を求めながら、あくまで天皇は一切の政治的権限を持たない象徴に過ぎず、政府が決めたことに唯々諾々と従いながら「ご公務」と呼ばれる国事行為を執り行うだけの存在に押し込んできたからだった。カリスマ性は利用したいが、権利は与えないということだ。そして、戦後70年間、日本人はその矛盾と向き合うことのないまま、天皇のカリスマを災害時の被災地訪問や歴史的な祭典などで最大限に利用してきた。
しかし、それは天皇や皇族の方々に、職業選択の自由も無く、世襲で強制的に天皇という地位に就かされた上に、その地位から離脱する自由もなく、死ぬまで公務を全うし続けなければならないという、あまりにも理不尽で犠牲の多い地位に甘んじていただくことを意味していた。天皇家の人々は結婚ですら政府の承認を必要としていて、自分だけの意思で決めることができない。
そもそもこの矛盾は第二次大戦後に日本に進駐してきたGHQが、半ば意図的に残したものと考えられている。大戦後、当時のアメリカ国内には、天皇の戦争責任を問う声が強かったが、GHQは戦後の日本の統治を効率的に行い、同時に日本の共産化を防ぐための防波堤として、むしろ天皇の権威を利用することを考えた。しかし、天皇の権威を維持するためには、戦前から続く天皇の神性が残存していることが不可欠だった。そこでGHQは憲法の中で天皇の世襲を維持するなどして、天皇という地位を事実上憲法の枠外に置き、戦前から続くカリスマ性を維持する一方で、再び日本が天皇の権威の下で軍事大国化することがないように、天皇を一切の政治権限を有さない「象徴」という地位に押し込んだ。そうすることで、天皇の権威だけは利用できるが、それが暴走するリスクは抑え込むことができると考えた。
慶応大学の笠原英彦教授は著書「象徴天皇制と皇位継承」の中で、GHQでマッカーサー元帥の副官だったボナー・フェラーズ准将の「15年、20年先に日本に天皇制があろうがあるまいが、また天皇個人としてどうなっておられようが、関心は持たない」という言葉を紹介しながら、GHQが当面の自分たちの利益だけを考えて現在の象徴天皇制なる制度を作ったことは明らかだと説明している。
結果的に、日本における象徴天皇とは、カリスマを維持するために世襲や男系男子などの戦前からの風習には縛られつつ、自分たちの身の振り方を含む一切の発言権を封じられた存在となり、70年間、それが続くことになった。
2000年代の初頭に皇太子並びに秋篠宮に男の子供が生まれなかったため、皇統を継承する男子がいなくなる、所謂「お世継ぎ問題」が浮上した。小泉政権下で有識者会議が開かれ、女性天皇を認めるなど皇室典範の改正が議論されたが、実際の法改正に至る前に秋篠宮に男の子が生まれたため、結局その時は何の改正も行われないままに終わっていた。
今回の生前退位問題は、本来であればとうの昔に考えておかなければならなかったにもかかわらず70年間放置されてきた「天皇及び天皇家の人権問題」が、改めて浮上したものと考えるべきだろう。
基本的人権や法の前の平等、男女同権を保障している日本国憲法は、第一章から八章までを天皇についての条文に割き、その中で、明らかに他の憲法の原則とことごとく矛盾したことを定めている。われわれも本音部分ではGHQと同じで、天皇にはカリスマを持った存在でいてくれなければ困るが、同時にそのカリスマを根拠に政治権力を発揮されるのは困ると考えていたのではないか。しかし、その結果として、天皇に基本的人権を認めず、表面的には敬うような態度をとりながら、実際には差別をしているとの誹りは免れない。
御厨氏は理論、行政、政治の3つの観点からこの問題に対する議論を始めるべき時が来ていると指摘する。ただし、その議論は、小泉政権下の有識者会議のような、天皇制の専門家たちによるものに限定すべきではないと言う。なぜなら、天皇がどうあるべきかは、専門家が決めることではなく、日本人一人ひとりが何を望んでいるかによるべきだと考えるからだ。
日本国憲法は第一条で天皇を日本国と日本国民統合の象徴とした上で、それが日本国民の総意の上に成り立つことを明記している。現在のような制度が本当に日本国民が天皇に望んでいることなのかを、今こそわれわれは議論すべきではないか。