戦後の防衛政策の大転換が増税論争にかき消されてしまう不思議
国際地政学研究所理事長
東京新聞(中日新聞)政治部記者(防衛省担当)
1946年東京都生まれ。70年東京大学法学部卒業。同年防衛庁(現防衛省)入庁。防衛大臣官房長、防衛研究所所長、内閣官房副長官補(小泉政権~麻生政権)などを歴任。2009年退官。11年国際地政学研究所を創設。12年より現職。著書に『亡国の集団的自衛権』、『自分で考える集団的自衛権・若者と国家』など。
1957年東京都生まれ。80年早稲田大学理工学部卒業。84年インド国立ボンベイ大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了(後期中退)。86年早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻修了。東チモール暫定統治機構県知事、国連シエラレオネ派遣団武装解除統括部長などを経て、日本政府特別顧問としてアフガニスタンの武装解除を指揮。立教大学教授などを経て09年より現職。著書に『本当の戦争の話をしよう・世界の「対立」を仕切る』、『武装解除・紛争屋が見た世界』など。
リスクは確実に高まるのに、メリットが見えない。
それが安倍政権が成立を目指す安全保障関連法案をめぐる国会論争でここまで明らかになったことだ。
憲法9条を変更しないまま集団的自衛権の行使を可能にする法改正を行うことは論理的に不可能との指摘が、多くの憲法学者や国防の専門家から行われているが、政府はのらりくらりとした答弁で国会審議を乗り越え、数の論理で法案の成立を押し切れると考えているようだ。
国家の「存立危機事態」という新たな概念を作り、その場合に限って、自国が攻撃を受けていない場合でも他国を攻撃できるとするのが「安保法制」の肝だが、野党側が繰り返し「存立危機事態」とはどのような事態を指すのかを質しても「政府が総合的に判断する」とした答弁しか返ってこないのだから話にならない。ここまでの国会などでの議論を聞く限り、政府が武力攻撃をしたい時にできるようにする法律を作ろうとしていると言わざるを得ない。
いわゆる「安保法制」と呼ばれる一連の議論は2つの大きな問題を抱えている。一つは、日本自身が攻撃を受けていない状態で他国に対して武力行使を行うことが、憲法9条に違反する可能性が高いことだ。そもそも憲法9条は国の交戦権を認めていないが、歴史的な経緯の中でぎりぎりの線として、自国が攻撃を受けた時、その攻撃を排除するために必要な最小限の武力を行使することだけは認めるとする解釈が、1972年の政府見解以来、維持され、国民の多くもこれを支持してきた。
しかし、今回の法改正ではその線から大きく踏み出して、政府が「存立危機事態」だと判断すれば、自国が攻撃を受けていなくても、日本と関係の深い国が他国が攻撃を受けただけで、日本は武力攻撃ができるとしている。
それが憲法上許されていないという解釈は、6月4日に国会に参考人として呼ばれた3人の高名な憲法学者が口を揃えて、「違憲」と言い切ったことからも明らかだ。憲法を蔑ろにする行為こそが、国の存立を危うくする行為に他ならず、その意味でも今回の法改正は国家100年の計を過つ行為を言わねばならないだろう。
それだけでも安保法制を廃案にすべき理由としては十分過ぎるほど十分なものだが、とはいえ憲法論争では反対する側にも一定の弱点があることも事実だ。かつて自衛隊の創設時にはその存在自体が違憲であると主張する憲法学者も少なからずいた。また、その後、PKOへの参加のために自衛隊を海外に派遣することになった際も、周辺事態法やイラク特措法、対テロ特措法などで自衛隊の活動範囲を拡げたり、機能を強化することになった際にも、憲法との整合性が大きな問題になり、国を挙げての大論争になった。しかし、そのたびに憲法を拡大解釈することで、「違憲ではない」と強弁し続けてきたのが、現状の日本の安保法制であることは紛れもない事実だ。
そうした経験を通じてわれわれの多くは、既に現時点で自衛隊の現状が当初の憲法が想定していた状態を大きく踏み越えた、解釈改憲の状態にあると感じている。今回の法改正は武力行使の要件の変更に当たるので、過去の解釈の変更とは次元が違うと主張することも可能かもしれないが、いずれにしても憲法違反であることだけを理由に安保法制への反対論を展開しても、「これまでも同じようなことを散々やってきたではないか」と言われてしまえば反論が難しいという面があることもまた事実だ。
しかし、それでも今回の法改正には大きな問題がある。それはこの法改正を行い、日本がある特定の条件の下で集団的自衛権を行使できるようにしたとして、それがどのような形で日本の安全保障に寄与するかが、まるで見えてこない点だ。今回の法改正を適用し、日本が自国を攻撃していない国に武力攻撃を行ったり、存立危機事態と並ぶもう一つの新要件である「重要影響事態」を理由に、アメリカの戦争に兵站を提供した場合、日本の自衛隊が攻撃を受けるリスクはもとより、敵国とみなされた日本人が海外で殺害されたり誘拐されたりするリスクや、日本の国土が武力攻撃を受けるリスクが増すことは明らかだ。しかし、その一方で、そのリスクと引き替えに日本がどのようなメリットを享受できるのかが、さっぱり見えてこないのだ。
安倍首相は集団的自衛権が行使できるようになれば日本の抑止力が強化されるため、むしろ日本にとってのリスクは低減すると主張する。しかし、なぜ日本が集団的自衛権を行使できるようになると、日本の抑止力が高まるかについては、どこからもはっきりとした説明がなされていない。論理的にどのような可能性があるかを考えてみても、日本が集団的自衛権を行使してまでアメリカに尽くす意思を見せれば、万が一中国が攻めてきた時に、アメリカが日本を助けてくれる可能性がより高まるというようなものしか考えられない。しかし、常に自国の国益を最優先するアメリカに、そのようなナイーブな論理が通用するとは到底思えないのだ。
なぜ今、集団的自衛権に踏み出す必要があるのか。その場合のリスクとメリットはどのような関係にあるのか。この法律が成立すれば日本の防衛政策は根本的に変質し、これまで70年間かけて日本が世界に築いてきた平和ブランドが深く傷ついてしまうことへの強い危機感を募らせる東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏とジャーナリストの神保哲生が、元防衛官僚で第1次安倍内閣で内閣官房副長官補を務めた柳澤協二氏と議論した。