TPP交渉で知財分野は日本の完敗だった
弁護士
1965年熊本県生まれ。91年東京大学法学部卒業。93年弁護士登録、98年コロンビア大学法学修士課程修了。99年ニューヨーク州弁護士資格取得。東京永和法律事務所、シンガポール国立大学リサーチスカラー、内藤・清水法律事務所(現青山総合法律事務所)パートナーなどを経て2003年骨董通り法律事務所を設立、同代表パートナーに就任。10年より日本大学芸術学部客員教授を兼務。著者に『誰が「知」を独占するのか・デジタルアーカイブ戦争』、『「ネットの自由」vs.著作権』など。
TPP交渉が大筋で合意に達しつつあるようだ。
TPPと言えば日本では農産物の自由化に大きな関心が集まっているが、マル激では、TPP交渉の21分野の中でも、著作権分野にとりわけ強い関心を持ってきた。著作権分野は貿易額も自動車や農産物を凌ぐほど大きい上に、その影響は日本の社会のあり方を根底から変えてしまうほどのインパクトを持つと考えられるからだ。
TPPは日米を含む12ヶ国の政府による秘密交渉なので、政府からは一切正式な発表は行われていない。しかし、ウイキリークスが公表した漏洩情報や政府から非公式に漏れ伝わってくる情報、一部報道などを総合すると、TPP交渉は著作権分野では、かねてからアメリカが求めていた著作権期間の70年への延長と、著作権法の非親告罪化で、ほぼ大筋合意に達したとみられている。また、これはまだ確定的な情報ではないが、著作権違反に対する賠償金が大幅に増額されることになる法定・懲罰的賠償制度の導入も、合意に達する可能性が高いことが指摘されている。こと著作権分野ではアメリカの主張が全面的に通っているように見える。
著作権に詳しい弁護士の福井健策氏は、現在TPPの著作権分野で議論されている論点はいずれも、ディズニーに代表される強力なキラーコンテンツを持つアメリカの著作権強者の権利をさらに強化することになるという。同時に、一般の市民が自由にアクセスできるコンテンツが制約される恐れが強く、表現の自由や知る権利といった民主主義の根本的な理念が損なわれる危険性があると言う。
特に日本はアメリカと比べて、国内で著作権が緩めに解釈されてきたことで、コミケに代表されるような同人誌やパロディなどの二次創作が花開き、それがクールジャパンと呼ばれるようなコンテンツを生み出す力の源泉にもなってきた。これは原作者が二次創作を黙認していたからこそ可能だった、日本独自の文化と言えるものだった。
ところが著作権法が非親告罪化されると、原著作者の告発がなくても、第三者による通報や警察独自の摘発が可能になる。その結果、例えばコミケに見られるような二次創作やパロディなどはいずれも無断複製や無断改変として、第三者による通報の対象となる。当局は著作権者の意向とは関係ないところで、こうしたコンテンツの摘発が可能になってしまうのだ。
もちろん悪質な複製や海賊版の氾濫などは厳しく取り締まる必要がある。しかし、非親告罪化にこれまでグレーゾーンとして黙認されてきた活動まで、誰がいつ通報するかもわからない状態になれば、二次創作の作者たちが萎縮することは間違いない。
また、より長期的には、今回の合意に基づく著作権制度の改変が、日本社会のあり方を根底から変えてしまう可能性があると、福井氏は言う。非親告罪化や法定賠償金制度や懲罰的賠償の導入は、いずれもアメリカ型の訴訟社会を前提にしているものだ。日本はアメリカのような徹底した契約社会でもなければ、何でも訴訟で決着する訴訟社会でもない。人口1人当たりの弁護士の数をみても日本はアメリカの15分の1に過ぎないと福井氏はいう。しかしTPPによって著作権に関するルールがアメリカ型に変えられてしまうと、日本社会もガチガチの契約社会、訴訟社会と化してしまう可能性が高い。
果たして政府は、短期的・経済的な利害得失は言うに及ばず、長期的な影響やそれが社会全体及ぼす影響を検討した上で、TPP交渉を行っているのだろうか。1990年代の初頭に、アメリカの圧力に屈する形で合意した日米構造協議とその後に続く年次改革要望書などによって、日本社会がどれだけ大きな変質を強いられたか。そして、その変質が日本にとって本当にいいものだったのかどうかは十分に検証されているのだろうか。
当時、宮沢政権の官房長官や自民党幹事長として日米合意に尽力した元衆院議員の加藤紘一氏は、以前にマル激に出演した際に、日米協議の結果導入された大規模店舗法改正の影響を過小評価した結果、自らの選挙区内の商店街がシャッター通りと化すことを許したことを、後に強く悔やんだと告白している。
TPPは各国政府によって秘密裏に交渉が行われ、途中経過も公開されない。しかし、国際条約であるが故に、一旦批准されれば、国内法よりもより強い拘束力を持つ。とりあえずトライしてみて、具合が悪ければ元に戻すというような融通が一切利かないのが、TPPの特徴なのだ。
著作権の枠を超えて、表現の自由やわれわれの知る権利にも大きく影響を与え、更に社会のあり方を根底から変えてしまう可能性のあるTPPについて、ゲストの福井健策氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。