政治権力に屈し自身のジャニーズ問題とも向き合えないNHKに公共メディアを担う資格があるか
ジャーナリスト、元NHKチーフ・プロデューサー
1935年東京都生まれ。東京外国語大学フランス語専攻卒業。 59年日本新聞協会事務局に就職。日本記者クラブ総務部長、日本新聞協会研究所所長などを経て88年東京大学新聞研究所(現・東京大学大学院情報学環)教授。立命館大学教授、東京情報大学教授などを経て2006年立正大学教授を定年退職。著書に『現代の新聞』、『マルチメディア時代とマスコミ』、『明治・大正のジャーナリズム』など。
確かに朝日新聞の報道には大いに問題があった。朝日には大いに反省してもらう必要がある。しかし、それにしてもこの朝日叩きは、誤報というミスを犯した報道機関に対する批判を越えた、バッシングの色彩を帯び始めているようにさえ見える。朝日を擁護する必要はないが、それでも報道機関をバッシングすることが、市民社会の利益につながるとは到底思えない。
朝日新聞社は9月11日、今年5月に報じた、いわゆる「吉田調書」の記事に誤りがあったことを認めてこれを取り消し、謝罪した。朝日の木村伊量社長は謝罪会見の中で、「記者の思いこみとデスクのチェックミス」に原因があったとの見方を示した上で、自らの進退にまで言及している。
福島第一原発の事故当時、第一原発の所長だった吉田昌郎氏が、職員に対して一時的に近くの線量の低い場所で待機するよう命じていた。しかし、混乱の中でその指示が全員に十分に伝わっていなかった可能性があり、職員のほとんどが福島第二原発まで避難してしまった。独自に吉田調書を入手した朝日は、これをもって、「所長命令に違反 原発撤退」と報じた。しかし、後に吉田調書を入手した他の報道機関などから、職員には命令に違反する意図はなかった可能性があり、所長の指示に反した避難が行われた理由も、単に伝達ミスだった可能性があることが指摘された結果、朝日の報道は「誤報」や「捏造」の批判を受けることとなった。
記者会見で朝日の編集幹部が明らかにしたところでは、命令違反を犯しているという認識を持っている職員は、ひとりも見つかっていなかったという。だとすれば、確かに確認が不十分なまま、思いこみに基づいて報道をした誹りは免れない。また、そのように決めつけるには、何らかの意図があったのではないかと勘ぐられても、やむを得ないところだろう。しかし、所長の指示に反した避難が行われた原因が、全員に連絡が伝わらなかったためだったのか、意図的に命令に背いた人もいたのかどうかは、朝日が確認できていないというだけで、事実が明確になったわけではない。また、理由はどうであれ、結果的に職員が所長の意図に反する形で避難をしてしまったことも事実なのだ。
それが「違反」だったのか、単なる「連絡不徹底」だったのかがはっきりとわからないという状況下で、朝日がそれを「命令違反」と報じたことに問題があったのは確かだ。しかし、そのことで記事を全面的に取り消したり、社長が謝罪会見を行い自らの進退にまで言及するというのは、やや過剰反応にも見える。
朝日新聞は今年8月5日に従軍慰安婦報道をめぐっても、自らの報道を一部取り消すことを発表している。これは朝日にとっては長年喉元に刺さった棘のような問題で、この取り消しに30年以上を要したことには厳しい批判が寄せられた。また、その後も、池上彰氏のコラム掲載拒否問題などが重なり、朝日新聞は社内外から厳しい批判に晒されていた。今回の社長による謝罪会見と記事の取り消し発表は、そうした逆風のさなかで行われたものだった。
しかし、それにしても報道機関が他の報道機関や政府から、特定の報道をめぐって一斉にバッシングを浴びることが、日本のジャーナリズム、ひいては市民社会の利益につながるとはとても思えない。朝日の叩かれぶりを見て、報道に携わる人々が、僅かな間違いも許されないと考えて萎縮したり、政府のお墨付きを得た無難な発表記事だけを報じるようになれば、結局、損するのはわれわれ市民にほかならない。
元東京大学教授でメディア研究家の桂敬一氏は、戦前、日本のメディアがこぞって翼賛的な報道を始めた裏には、軍による統制や国家のあり方に対する信念などといった大それたものではなく、単にそうした報道のほうが人気があり、それが売り上げ増につながるという商業的な理由が大きかったと指摘する。反戦を説くより、日本軍の快進撃を報じたほうが新聞は売れたのだ。
今回の朝日バッシングにも、朝日に対する感情的な嫌悪感のようなものが底流にあることも事実だろうが、それと同時に、「朝日を叩く企画は売れる」(桂氏)という事情が、朝日叩きに拍車をかけている面があることには留意しておく必要があると、桂氏は言う。
改めて指摘するまでもないが、一連の朝日新聞の報道には問題があった。朝日はこれを猛省する必要がある。また、朝日という組織自体に硬直化や傲りといった組織的な、あるいは構造的な問題が蔓延っていたのではないかとの指摘も、社の内外から起きている。今回、朝日新聞がそうした批判を真摯に受け止め、自らを厳しく改革できなければ、いよいよ市民社会の信頼を失うことになるだろう。
しかし、報道という行為が。人間が行うものである以上、必ず間違いは起きる。誤報はこれまでも、そしてこれからも必ず起きる。誤報が起きないよう万全を尽くすことが報道機関の責務であるし、万が一誤報があった時は、迅速かつ誠実に対応しなければならないことは言うまでもない。
果たして朝日がリベラルメディアを標榜する資格があるかどうかについては異論もあるところだが、これだけ多くの記者を抱え、数ある報道機関の中でも屈指の影響力を誇る朝日新聞が、これを機に徹底的に弱体化することで、一番喜ぶのは誰なのかといった側面にも、思いをめぐらせる必要があるのではないか。
今回の朝日新聞問題をわれわれはどう考えればいいのか。朝日新聞をただ叩くだけでいいのか。ゲストの桂敬一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。