間違いだらけの水害対策
京都大学名誉教授
1975年新潟県生まれ。98年慶應義塾大学総合政策学部卒業。2002年東京大学人文社会系研究科修士課程修了。04年同大学人文社会系研究科博士課程退学。東洋大学社会学部准教授などを経て14年4月より現職。著書に『「災害」の社会心理』、『風評被害 そのメカニズムを考える』、共著に『コミュニケーション論をつかむ』など
福島の反省は活かされているのか。今回は避難について考えてみたい。
8月20日に広島市を襲った豪雨と土砂災害は多くの犠牲者を出した。広島市による避難指示の遅れが批判を受けているようだが、仮に土砂災害が発生する前に避難勧告が出ていたとしても、深夜の豪雨の中で避難が現実的に可能だったかと言えば、疑問が残る。その一方で、今回被災した地域は過去にもたびたび土砂災害が発生したという。地域住民の間では、そこが警戒を要する危険な区域であるという認識が必ずしも高くなかったことが報道されているが、中には雨が強くなることを予想して、あらかじめ自宅の2階に避難していて危うく難を逃れた人や、家の中の崖とは反対側の部屋に移動して助かった人も多かったという。防災における自治体の責任は重大だが、それと同時に、それぞれ個々人が危機意識を持ち、自分の身を守るために自分にできることは自分でやるという姿勢も必要だろう。
一方、原発の状況に目をやると、安倍政権は原発の再稼動に向けた準備を着々と進め、既に原子力規制委員会は九州電力川内原子力発電所の再稼動にお墨付きを与えている。同意が必要となる立地自治体の鹿児島県や薩摩川内市も、「安全性が確認されれば」という前提つきながら、停滞する地元経済への好影響という期待感もあって再稼動にはいたって前向きなようだ。
しかし、原発再稼働の前に立ちはだかるのが避難計画だ。福島原発事故の教訓として、避難計画の策定が義務づけられる対象自治体が、以前の原発から10キロ圏から30キロ圏に拡大された。原発の再稼働には立地都道府県と立地自治体の合意だけが必要とされている点は事故以前と変わっていないが、30キロ圏内の自治体も避難計画を作らなければならない。原発から30キロ圏内には多くの自治体が存在し、そのすべてに避難計画の策定が義務づけられているため、今後、川内原発の再稼働のためには周辺避難計画が大きな争点となることが予想されている。
しかし、原子力規制委員会は原子力施設の技術的な安全性は審査するが、住民の避難計画は審査をしないことを、田中俊一委員長も明言している。周辺自治体による避難計画の策定が原発再稼働の前提となっている上に、福島でも避難計画が機能しなかったことが多くの周辺住民を苦しめたことがわかっているにもかかわらず、避難計画の中身を評価したり審査する仕組みが存在しないのだ。逆に言えば、対象となる自治体が何でもいいからとりあえず避難計画を作りさえすればいい、ということになっているとも言える。
どうもわれわれは、非常時にも機能する避難計画を作ることが、いたって苦手なようだ。
福島事故を調査した国会事故調査委員会は、報告書で原子力災害に対する「想定不足」「情報不足」「責任の所在が不明確」などと厳しく批判している。そもそも避難計画が不備だった上、それを無視した避難を行ったことで、20~30キロ圏の住民はライフラインが寸断され、生活に必要な物資が供給されないまま長期屋内退避を強いられた挙句の果てに、「自主避難」という形で被災地域から追い出されてしまった。中には5回も避難所を転々とさせられた住民もいたという。
こうした福島原発事故の教訓は生きているのだろうか。川内原発の立地する薩摩川内市の避難計画では自動車の乗り合いで避難するための集合場所や避難経路などが記載されているが、実際にそのルートを歩いてみると、海沿いの一本道が避難路に指定されているなど、机上の空論の感が否めない。原発事故が大地震による津波などに起因する可能性が高いのに、海沿いの道を通って避難をしろというのだ。
災害の際の避難行動や防災計画に詳しい東京大学特任准教授の関谷直也氏は「避難ルートが無いのであれば、新たに道路を造るなど整備するしかない。それが避難行動だ」と指摘するが、残念ながら立地自治体にそこまでの覚悟があるようには見えない。また、特別養護老人ホームの入所者や入院患者らは逃げたくてもそう簡単に動かせない事情を抱えている場合が多く、屋内にとどまっているほうが合理的なケースも考えられるが、待避している期間の食料や水をどうするのか、入所者や患者の世話をする関係者はどうするのかなどの現実的な問題は、いずれも想定されているようには見えない。このような避難計画で、いざというときにわれわれは自らの身を守ることができるのだろうか。
福島原発事故からまだ3年あまりしか経っていない。にもかかわらず、避難計画もいい加減なままで、われわれは原発の再稼働を許すのだろうか。福島の教訓とは何だったのかを、今あらためてゲストの関谷直也氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。