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2014年08月16日公開

誰がために甲子園はある

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第696回)

完全版視聴について

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完全版視聴期間 2020年01月01日00時00分
(終了しました)

ゲスト

1979年埼玉県生まれ。2002年上智大学外国語学部卒業。大学在学中よりフリーのスポーツライターとして活動。野球専門誌『Baseball Times』の記者を兼務。著書に『人を育てる名監督の教え すべての組織は野球に通ず』。

著書

概要

 未曾有の記録を相次いで打ち破りアメリカ・メジャーリーグに渡った、日本球界の至宝とも言うべきニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が、先月、肘の靱帯の部分断裂で戦列を離脱した。今週はテキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手までが肘痛で故障者リスト入りをするなど、日本の期待を一手に背負ってメジャー入りした投手の故障が相次いでいる。ここ何年かの間だけでも、松坂大輔、和田毅、藤川球児といった日本を代表する大投手たちがメジャーリーグ入りしてほどなく、肘の故障で「トミージョン手術」と呼ばれる靱帯の移植手術を受けている。
 なぜこうまで日本を代表する投手たちがメジャーリーグに渡ったとたんに、次々と大きな肘の怪我に見舞われるのか。その真相は誰にもわからないが、一つだけ、彼らに一様に共通することがある。それはいずれの投手も高校時代から尋常ではないほど肘を酷使し続けてきたということだ。アメリカのスポーツメディア界では今や、日本の投手たちは誰もが肘を酷使してきているので、大枚を叩いてスカウトするには値しないのではないかといった議論が、真剣に交わされている。
 現在、高校球児の祭典、夏の甲子園が真っ盛りだ。NHKが1回戦から全試合を生中継し、ニュースでも大きく取り上げられるので、否が応でも世の中の関心は高い。夏の甲子園はもはや日本の夏の風物詩と言ってもいいだろう。
 しかし、こうした華やかな大会の陰で、特に大会の過密日程からくるピッチャーへの過重な負担が一部で懸念されている。「一部で」、というのには理由がある。もはや甲子園があまりにも巨大なイベントとなっているため、スポーツジャーナリズムの世界でもそのあり方を大っぴらに批判することが難しくなっているからだと、今週のゲストでフリーのスポーツライターの中島大輔氏は指摘する。
 しかし、実際に甲子園では大会を勝ち進んでいくと、投手の連投は当たり前になっている。2006年夏に「ハンカチ王子」としてアイドル級の人気が出た早稲田実業高校の斎藤佑樹投手は、優勝までの全7試合で948球もの球数を投げている。さらに遡ると、1991年夏、準優勝の沖縄水産高校の大野倫投手などは6試合で773球という連投がたたって、肘を疲労骨折し、肘が曲がったままの痛々しい状態で閉会式にのぞんでいた姿が印象に残っている。どうしても勝たなければならないというプレッシャーがかかれば、エースの2連投、3連投はむしろ当然のこととして受け入れられてるのが、甲子園の実情なのだ。
 横浜DeNAベイスターズのチームドクターを務める、横浜南共済病院の山﨑哲也医師によると、人間の肘は野球のボールを1球全力で投げるごとに、靭帯に微細な断裂が生じるほどの負担がかかっている。だからこそ、一日に投げる投球数を制限して肘の負担を減らすと同時に、痛んだ肘の靱帯が回復するまでの間、肘を休める必要があると指摘する。
 1日150球を超える球数を投げた上に、準決勝、決勝となると、2連投、3連投が当たり前という現在の甲子園のあり方は、選手の肉体への負担という意味もおいても、将来プロで活躍する可能性を持った有望な選手に高校生の段階で傷をつけてしまうという意味においても、大きな問題があると言わねばならない。
 アメリカのメジャーリーグでは、投手に1試合あたり100球の制限を設けている球団がほとんどだ。また、練習でも投手が投げていい球数を厳しく制限している。これも、肘への負担に関する科学的なデータに基づいた措置だが、日本からメジャー渡った投手の多くは、思い存分投げ込みをさせてもらえないとして、このやり方に不満をこぼす人が多いほどだ。
 日本でも小学生のリトルリーグや中学生のリーグでは一人が1日に投げてよい球数の制限が一律に設けられるようになった。また、試合で投げた場合、次に投げられるまでに挟まなければならない休みの日数や、1週間に投げてもよい球数なども細かく決められるようになっているという。
 しかし、なぜか高校野球ではこれがなかなか進まない。中島氏が言うように、そもそもこの問題をオープンに議論することすら難しい状態にあると言うのだから、進まないのも当然だ。
 甲子園があれだけ大きな国民的イベントになり、夏の朝日新聞、春の毎日新聞を筆頭にNHKも含めたメディアが丸ごとそこに乗っかる形になった今、高校野球と言えども各校は勝つためにあらゆる努力を惜しまないのは当然だ。テレビのスポットライトが当たる中、選手、全校生徒はもとより、父兄、そして地元をあげての応援を受けたチームとその監督の双肩にかかるプレッシャーは尋常ではないだろう。
 そこに投球制限などが設けられて、次の試合でエースピッチャーが使えないために敗退してしまうようなリスクは、誰も冒したくはない。また、常に甲子園をめぐる感動秘話を探しているメディアにとっては、腕が折れようとも投げ抜く高校球児の熱い心は、感動物語には不可欠な要素になっている。投球制限が設けられた中で淡々とプレーをするような高校野球では、商品としての価値が今より大幅に落ちてしまう。それこそが正に、将来が有望な特定の優良選手に過度の負担を強いている根源的な原因でもあるわけだが、それがあるからこそ甲子園が今日のような国民的な関心事になっているという側面があることも否めない。
 しかし、これは詰まるところ、高野連や大会を協賛する新聞社、そして甲子園ネタで販売部数や視聴率をあげているメディアたちが、高校球児たちの野球にかける熱い心やその将来性を食い物にしている結果だとは言えないだろうか。
 確かに、球数制限や登板の間隔は個人差があるため、一律の基準を設けることにはディメリットもあろう。しかし、明らかに投球過多によって故障する選手が続出している以上、これが喫緊の問題として真剣に議論されていない現状には違和感を超えて、不信感を禁じ得ない。
 個人差があるから規制をしないというのは、たくさん球数を投げでも大丈夫な選手がいるのだから、それで怪我をしてしまう選手には、故障を甘受してもらいましょうと言っているに等しい。高野連側がよく言い訳に使う「全ての選手がプロ野球を目指しているわけではない」という主張も、それではプロに行かない選手の肉体は損傷しても構わないと言っているに等しいではないか。高校生はどんなに腕が痛くても、自分から「もう投げられません」とは決して言わないと、多くの指導者たちが証言する。高校生は放っておけば、体を壊すまで、いや壊してでも、まだ投げ続けてしまうものなのだ。それを止めるのが、大人の仕事ではないのか。高校生の熱い純粋な思いを逆手にとって、大人がビジネスをしてどうする。とりあえずそろばん勘定は横におき、ここはメディアがしっかりと問題を指摘し、高野連を始めとする大人たちが、しっかりとした判断を下さなければならない場面ではないか。
 こうなると甲子園を「夏の風物詩」と楽しんでばかりもいられない。過密日程の甲子園大会と、相次ぐ日本人ピッチャーの故障の問題、甲子園という一大イベントとメディアの問題など、いったい誰のための野球か、誰のための甲子園なのかを、ゲストの中島大輔氏と共に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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