日本の民主政治を変質させた責任を問う
上智大学国際教養学部教授
1970年東京都生まれ。93年東京大学文学部卒業。95年英オックスフォード大学哲学・政治コース卒業。2003年米プリンストン大学大学院博士課程修了。政治学博士。専門は比較政治学、日本政治、政治思想。著書に『戦後日本の国家保守主義』、共著に『民主党政権 失敗の検証』、『グローバルな規範 / ローカルな政治:民主主義のゆくえ』など。
6月22日に閉幕した通常国会では改正法案を含めると100本の法律が可決している。その中には医療や介護制度を大きく変える法律や、電力市場の自由化に関するもの、教育委員会を事実上首長の下に置く教育関連の法律など、ありとあらゆる法律が含まれている。政府が提出した法案の97.5%が成立していることからもわかるように、政治の舞台では弱小の上に内輪揉めを繰り返す野党がほとんど何の抵抗もできない中、安倍政権並びに自民党のやりたい放題がまかり通っている状態だ。
しかし、今国会で可決した一連の法案の中身を見ると安倍政権の基本路線は明確だ。まずは、財政負担を減らすための切り捨て。特に弱者の切り捨ての比重が大きい。そして民主党政権下で一部切り崩されかけた官僚支配の再強化。その上で、自民党や与党の票田や支持母体となっている既得権益にはほとんど手をつけずに温存するというもの。
切り捨ての一例としては、今国会で成立した介護の主体の一部を国から市町村に移管するいわゆる地域医療・介護総合推進法に盛り込まれた介護保険法の改正がある。これは、当初は財源をつけて介護保険の一部を地方へ移管する形をとるものの、早い話が介護保険料を取っていても介護コストの急騰に国庫が耐えられなくなったために、それを地方に押しつけると同時に、自己負担比率を引き上げるというもの。
そもそも介護は家庭ではなく社会の問題であるという理念でスタートしたはずの介護保険制度だが、結局、政府が期待したほど「介護の社会化」は進まず、国庫負担ばかりが増え、今回の事実上の切り捨てとなった。安倍首相はこの法案審議の中の答弁で、「自助」の必要性を訴えているが、これは国にお金がないから、まずは地域でやってもらい、それがダメならあとは自分たちで何とかしてくれという「切り捨て」の論理に他ならない。
一方、教育の分野では、いじめ事件への対応のまずさから批判の矢面に立たされた教育委員会制度を首長の下に置くことで、むしろ地域の自主性を摘んでしまう方向性が打ち出されている。一見、首長の元でより地域性が発揮できるようにも聞こえるが、教育委員会の問題に詳しい千葉大学名誉教授の新藤宗幸氏によると、これまでも教育委員長や教育長は事実上、首長が任命するに等しい状態にあり、「今回の制度改正はそれを制度化したに過ぎない」と言う。その一方で新藤氏は、教育の問題は一部のエリート教員によって構成されている教育委員会事務局が地方の教育行政全般を仕切っていることにあるが、今回の法改正ではそこにはまったく手をつけていないと批判する。結局、教育委員会事務局を温存した上で、教育委員会の自主性を弱めることで、かえって中央統制を強化する内容になっている。
安倍政権になって最も顕著な変更が行われたのが、エネルギー政策の分野だった。エネルギー・原子力関連分野では、今国会で2016年をメドに電力の小売りを自由化する電力自由化関連法が成立した。しかし、エネルギー政策に詳しい元経産官僚の古賀茂明氏によると、既存の電力会社間で自由競争が起きないような談合が行われているため、自由化といっても地域独占の巨大な電力会社に、新興の弱小PPSが挑む構図となり、本当の意味での市場競争はなかなか期待できそうにないという。しかも、小売りに参入するための前提となる送電網は、依然として既存の電力会社が支配しているため、自由化後もどの程度公正な市場競争が期待できるかは多いに疑問が残る内容となっている。実態としては電力会社の既得権が根底から脅かされない範囲での自由化というところに落ち着きそうだ。
その一方で、安倍政権が新たに制定したエネルギー基本計画で原発を「重要なベースロード電源」としたことを受けて、原発ムラの復権がいたるところに見受けられる。原子力損害賠償支援機構法の改正では、原子力災害の賠償に備えて、国などが国債などの資金を拠出して設けられていたはずの原子力損害賠償支援機構に、本来は電力会社が負担すべき原子炉廃炉の費用まで担わせるという内容の法改正が行われている。古賀氏は、「廃炉費用を電力会社に負担させれば、それが電気代に上乗せされ、原発を抱える電力会社の経営が成り立たなくなる可能性がある。国がエネルギー基本計画で原子力エネルギーを重要なベースロード電源と位置付けた以上、廃炉費用は国が負担して当然という論理がまかり通っている」と指摘する。
しかし、何と言っても安倍政権の方向性を決定づける極めつけは、今週自民党が公明党との間で合意に達したとされる集団的自衛権の行使容認だろう。これも最終段階で制約条件ばかりがメディアで取り上げられたために全体像が見えにくくなっているが、どんな国内向けの子供だましの議論でごまかそうが、戦後の日本で一貫して武力行使の明確な歯止めとして機能してきた、「自国が武力攻撃を受けない限り武力行使はできない」という専守防衛の一線が破られたことに変わりはない。今後他国、とりわけアメリカ政府から第三国に対する武力行使への協力や参加を求められた時、時の政府に交渉によってそれを断ることができるとはとても思えない。
今さら軍事大国を目指そうというわけではないが、とにかく戦後の日本を縛ってきた平和主義憲法の軛から何とかして日本を解き放ちたい。解き放ってどうしようというところまで考えているとも思えないが、とにかくそれを解き放つこと自体に意味があると言わんばかりの、事実上の憲法の改正が、早ければ7月1日に閣議決定という形で行われようとしている。正規の憲法改正手続きを踏まずに事実上憲法を変更する行為は、クーデターの誹りを免れないほど重大な意味を持つものだが、今の政権にも与党にも、その自覚があるようには見えないのはなぜだろうか。
以上のことから浮かび上がってくる、安倍政権が目指す日本の姿とは一体どのようなものになるのだろうか。その帰結が最終的にわれわれにどのような形でのしかかってくることになるのか。欧米の政治制度にも詳しい政治学者の中野晃一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。