ウクライナで誰も望まない戦争が起きそうな理由と起きなさそうな理由
慶應義塾大学総合政策学部教授
1972年東京都生まれ。95年慶應義塾大学総合政策学部卒業。2001年東京大学大学院博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、東京外国語大学大学院地域文化研究科准教授、静岡県立大学国際関係学部准教授などを経て10年より現職。、学術博士(政策・メディア)。著書に『ロシア 苦悩する大国、多極化する世界』、『コーカサス - 国際関係 の十字路』など。
ロシアによるクリミアの編入に世界が衝撃を受けている。大国が軍事力にものを言わせて小国から領土を分捕るような古典的な力の政治は第二次大戦以来、世界が経験してこなかったものだったからだ。半世紀に及ぶイデオロギー対立を前提とする冷戦と、その後の混沌たるポスト冷戦の時代を経て、世界は再び古い力の政治の時代に舞い戻ろうとしているのか。それともこれはこれまでとは全く異なる新しい世界秩序の始まりなのか。もしそうだとすると、対立の中身は資源なのか、それとも何か別の新しいものなのか。
2月下旬にウクライナで起きた政変は親ロシアのヤヌコビッチ政権を転覆させ、よりEU寄りの新政権の樹立に向かうかに見えた。 ところがロシアはウクライナの政変そのものに介入するのではなく、実を取りに出た。ロシア人の安全確保という大義名分の下、クリミア半島に軍を派遣し、クリミア自治州をウクライナから離脱させるという力技に打って出たのだ。
この事態にEU諸国やアメリカなどはロシアによる事実上のクリミア併合であるとして厳しく反発し、さまざまな制裁を行っているが、効果を上げているようには見えない。クリミアのためにロシアと本気で一戦交える気など誰にもないことが明らかだからだ。
しかし、それにしてもロシアはなぜいきなり力による領土の編入などという思い切った施策に打って出たのだろうか。ロシア問題に詳しい慶應義塾大学准教授の廣瀬陽子氏はクリミア半島にある軍港セバストポリがロシアにとって戦略上非常に重要な意味を持っていたことを強調する。ロシアの領土沿岸部はほとんどが寒冷地であるため、不凍港で黒海経由でアジアやアフリカへの玄関口となるセバストポリはロシアの安全保障上の生命線とも言っていいほどの重要な戦略的意味を持つ。ウクライナに親EU政権が成立し、クリミアにNATO軍の基地ができるような事態をロシアが恐れても不思議はない。
ロシアが自国の利益を守ろうとするのは当然のことかもしれない。しかし、時は既に冷戦の時代ではない。仮にロシアとEUやアメリカが対立しているとすれば、それは何を根拠とする対立ということになるのだろうか。
今回のクリミア問題には、国際政治の古くて新しい論争の要素もあると廣瀬氏は指摘する。クリミアはロシア系住民が6割を占める親ロシア地域だ。ロシアとウクライナのどちらかを選ばなければならない住民投票を行えば住民の多数がロシアを選ぶ可能性が高い。実際に、このたび行われた住民投票でも、反ロシア陣営のボイコットなどもあり、投票結果は9割以上がロシア側につくことを選択している。そして、民族自決は国際政治の大原則の一つでもある。しかし、その一方で安倍首相がハーグで「力を背景とする現状変更は認められない」と語ったように、現状維持も国際政治の大原則の一つだ。今回ロシアはクリミア問題では民族自決をその正当性の柱に据えているのに対し、日本を含むアメリカ陣営が現状維持を主張する構図になっている。クリミアの住民投票の正当性はさておき、もし住民の大半がロシアへの編入を真に望んでいるのであれば、単に現状変更だけを理由にそれを妨げることに絶対的な正義があるとは限らないのも事実なのだ。
今回、宮台真司氏に代わって司会役を務めた国際政治学者の山本達也氏は、「従来の秩序や考え方とは異質の何かがすでに生まれているのではないか」として、その一つの可能性としてあらゆる国で「国家を維持することが難しくなっている」点をあげた。大国意識だの帝国主義的拡張といった大層なものではなく、ロシアをロシアとして維持するためにはクリミアを手放すことができないというのだ。現にクリミア情勢を受けてプーチン大統領の支持率は急騰しているという。
ロシアによるクリミア編入は国際政治の歴史的な文脈の中でどのような意味を持つのか。これが今後の国際政治の流れの一つの源流を作る可能性はあるのか。そうした中で日本は何を考えなければならないのかなどについてゲストの廣瀬陽子氏、国際政治学者の山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生が議論した。