公文書隠して国滅びる
長野県短期大学多文化コミュニケーション学科准教授
1976年東京都生まれ。2000年一橋大学社会学部卒業。02年同大大学院社会学研究科修士課程修了。10年同大大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士課程修了。11年一橋大学大学院社会学研究科特任講師。12年より現職。社会学博士。専攻は日本近現代史、象徴天皇制。成城大学、立教大学などの非常勤講師などを兼務。著書に『公文書をつかう - 公文書管理制度と歴史研究』。
政府は昨日(10月25日)、「特定秘密保護法案」を閣議決定し、衆議院に提出した。安倍政権は本法案をNSC設置法案と並ぶ最重要法案と位置づけ、12月6日まで開かれる今国会中の成立を本気で目指しているようだ。
特定秘密保護法案とは、安全保障上特に重要とされる機密情報を漏らした公務員を罰することを主目的としているが、何らかの形で機密情報を入手した一般市民も処罰の対象となることから、国民の知る権利を制限する恐れがあるとして、一部から厳しい批判に遭っている。
同法案の最大の問題点は、秘密の基準が不透明なために、時の政府によってこれが恣意的に運用されたり、政府にとって都合の悪い情報を隠すために濫用されるリスクへの手当てが明らかに不十分なことだ。
秘密指定の濫用を防ぐためには、どのような情報であれば秘密に指定することが許されるかを定めた明確な基準が規定されていることと、事後にその基準が守られているかをチェックする仕組みが担保されていることが不可欠となる。後でばれないことが分かっていれば、時の統治権力が秘密権限を濫用し、自分たちにとって都合の悪い情報を隠蔽しようとすることは避けられない。
今回閣議決定された法案では、特定秘密に指定できる情報の基準は別途定めることになっているため、基準の妥当性についてはその策定を待つしかない。しかし、いずれにしても、どれだけしっかりとした基準が作られても、それが守られているかどうかを確認する手段がなければ、意味がない。そこでカギとなるのが公文書管理法との兼ね合いだ。
行政が保有する文書は基本的にすべて2011年4月に施行された公文書管理法のもとで、すべてファイル化され、保存されなければならないことになっている。しかし、特定秘密保護法によって保護される「特定秘密」は、保護期間中はこの法律の縛りを免除されることになる。そして、本来であれば、その保護期間が切れた段階で、直ちに公文書として登録され保存されることになる。その段階で、秘密指定の権限が濫用されていないかどうかの確認が、初めて可能となるわけだ。
問題は、今回の特定秘密保護法案では、一旦秘密に指定された文書が、秘密解除後にきちんと公文書管理法に基づいて公開されることを法律が担保しているかどうかだ。秘密にされ、存在すら伏せられていた文書が、公文書として公開されることなくそのまま廃棄されてしまえば、秘密は闇から闇へと葬られることが可能となる。そのような便利な制度を、時の権力が濫用しないわけがない。
都留文科大学非常勤講師で公文書管理法に詳しいゲストの瀬畑源氏は、公文書管理法では公文書を廃棄する際には内閣総理大臣の許可が必要になるため、秘密指定を受けた文書が廃棄される場合も同様の基準が適用されるはずだと言う。しかし、元々存在すら伏せられていた文書がそのまま廃棄されても、誰にもわからないことから、濫用のリスクが否定できないことも指摘する。
そもそも特定秘密保護法案では、秘密指定の延長が事実上無限に可能となっている。30年を超えるものについては内閣の承認が必要との条件はついているが、秘密指定された情報の存否すら明らかにしないとの方針なので、秘密指定が延長された事実も、われわれは知ることができない。
また、現実問題として首相が廃棄する文書の内容の一つひとつを把握できるはずがない。となると、秘密指定を受けた文書が公文書として保存されないまま廃棄される可能性は排除できない。
これは秘密保護法の問題であると同時に、日本の公文書管理のあり方そのものに問題の本質がある。政府の根幹にも関わる公文書管理の問題をこれまで放置してきたことのつけが、秘密保護法案の登場で、突如として大きく回ってきたとみることもできる。
そもそも情報は誰のものなのか。なぜ欧米では常識となっている公文書管理法が、2011年まで日本にはなかったのか。官僚はなぜ情報を私物化しようとするのか。
現在の日本政府の公文書管理の現状をつぶさに見ていくと、政府がどうしても特定秘密保護法案を欲しがるか真意が透けて見える。そのような政府に、本来は国民の資産であるはずの公文書に、その存在すらも秘密にする権限を与えて、本当に大丈夫なのか。日本の民主主義は秘密を民主的に管理できるところまで成熟できているのか。ゲストの瀬畑源氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。