日本が原発依存から脱却すべきこれだけの理由
原子力資料情報室事務局長
1962年新潟県生まれ。87年京都大学法学部卒業。同年通商産業省(現経済産業省)入省。ブリティッシュコロンビア大学客員研究員、資源エネルギー庁石油部精製課班長などを経て2004年8月辞職。同年10月新潟県知事選初当選。現在3期目。著書に『今日も新潟日和』。共著に『みんなの命を救う - 災害と情報アクセシビリティ』、『知識国家論序説 - 新たな政策過程のパラダイム 』など。
9月16日に関西電力大飯原発4号機が定期点検のために停止し、日本は昨年5月以来となる稼働中原発がゼロの状態になった。
しかし、安倍政権は原子力規制委員会が示した新規制基準に適合すれば、止まっている原発を順次再稼働する方針を明確に示しており、規制委員会には既に4つの電力会社から6つの原発の再稼働申請があがっている。福島第一原発事故の事後処理にも七転八倒しながら試行錯誤のただ中にあり、そもそもメルトダウンに至った真の原因もはっきりとしない中、日本は今、原発再稼働の是非に対する決断を迫られているのだ。
そうした中にあって、地元の原発の再稼働に明確に反対し、頑として譲らない姿勢を見せている首長がいる。新潟県の泉田裕彦知事だ。
泉田氏は、原子力規制委員会が示した新規制基準では「福島原発事故の教訓が活かされているのか疑わしい」とこれを厳しく批判した上で、県内にある東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に、より厳しい安全基準の適用を求めて譲らない姿勢を見せている。
これにはそれなりの理由がある。泉田氏は知事として遭遇した2004年の新潟中越地震や07年の新潟中越沖地震の経験を踏まえて、東京電力に対して当時の安全基準では義務づけられていなかった免震重要棟の設置を求めた。今回の事故で福島第一原発に免震重要棟が設置されていたのはその成果だった。
「東日本大震災で免震重要棟がなければ、もしかすると東京には人が住めなくなっていたかも知れない。それを防いだという自負はある」と泉田氏は話す。
今回特に泉田氏が強く求めているものの中には、実現可能な避難計画の作成と、強い地震にも耐えうる原子炉と一体化したフィルターベントの設置などが含まれているが。フィルターベントの問題は07年の新潟中越沖地震の際に柏崎刈羽原発3号機が火災を起こした経験に基づく。避難計画は新潟県が今年3月に僅か400人で実際に計画に基づいた訓練を行ってみたところ、周辺の道路が大渋滞してスムーズに避難ができなかったという実体験に基づいている。柏崎刈羽原発は5キロ圏だけで約2万人が在住しているという。
「県民の命と財産を護るのが知事の仕事」と語り、自分はそのために必要になる当たり前のことをやっているだけだと言う泉田氏だが、これらの問題点を原子力規制委員会に質して、防災指針の策定に地元自治体の意見を取り入れる仕組み作りを要請したところ、規制委からは「新規制基準に直接関係ない」との回答が返ってきたという。
いみじくも原発立地自治体の長として明確に再稼働に反対の意思を表明していた東海村の村上達也村長が、今週退任し、孤軍奮闘になった感のある泉田氏を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が新潟県庁に訪ね、再稼働問題に揺れる原発政策のあり方を議論した。