自民党に歴史的大敗をもたらした民意を読み解く
慶應義塾大学名誉教授
1949年東京都生まれ。72年慶応大学法学部卒業。77年同大学法学研究科博士課程単位取得満期退学。77年ハーバード・ロー・スクール客員研究員、83年慶応大学法学部助教授などを経て89年より現職。法学博士。98年弁護士登録。著書に『白熱講義! 日本国 憲法改正』、『「憲法」改正と改悪』など。共著に『そろそろ憲法を変えてみようか』、『憲法改正』など。
日本はこの7月、憲法改正を公約に掲げる政権与党に対して、衆参両院の過半数を与えるかどうかが問われる国政選挙を迎えようとしている。安倍首相自身も今週の記者会見で堂々と憲法改正を訴えているが、これに対して特に大きな反発は見られない。かつて閣僚が「憲法改正」を口にしただけで辞任に追い込まれた頃と比べると、まさに隔世の感がある。
憲法の改正については米軍の占領下で制定されたという事実やその後の歴史的な経緯もあり、いやがうえでも多くの政治的文脈がつきまとう。しかし、主権者である国民が真に憲法の改正を望んでいるのであれば、それを否定する理由はない。それを否定すること自体が憲法の精神に反すると言うこともできるだろう。
「すわ憲法改正か」という事態を迎えるにあたり、改憲に対するアレルギーが強かった時代に肩身の狭い思いをしながら憲法改正を主張してきたいわゆる改憲派にとっては、ようやく長年の夢が叶おうかという状況に歓喜しているかと思いきや、どうも事はそう簡単ではないようだ。長年、代表的な改憲論者として知られてきた慶応大学小林節教授も、現在自民党が進めようとしている憲法改正は改憲ではなく壊憲、つまり憲法を破壊する行為だとして、これに真っ向から異を唱えている。
小林氏は自民党の憲法改正草案は、そもそも憲法が何であるかが理解されないまま書かれていると、これを一蹴する。それは、安倍政権が他の条文に先んじて改正をもくろむ憲法96条の改正案にしても然り、憲法を通じて国や国旗を敬ったり、人権に公の秩序を害しない限りなどの条件が付けられていたり、家族が仲良くしなければならないなどの道徳的な義務が国民に課せられていたり、自民党案は、政府が国民に何かを命じるものになっている。憲法は国民が政府を縛るためのものという立憲主義の基本中の基本が理解されていない、と小林氏は指摘する。
しかし自らを「護憲的改憲派」と位置づける小林氏は、今回の自民党の提案によって、憲法改正に対する国民的な論議が提起された点は評価する。自民党案そのものは論外としても、やはり現行憲法は手直しが必要な部分が少なからずあると考えているからだ。
特に憲法9条に関しては、現在のように拡大解釈を続けることで、現状と憲法の条文の間に大きな乖離が生じてしまっている状態を放置すべきではないと、小林氏は言う。具体的には現行の9条が、「侵略戦争を否定する一方で、自衛のための武力行使までも禁じているわけではないことは国際法の観点からも明らか」であることから、まず自衛隊をはっきりと「自衛軍」と位置づけた上で、むしろそれに国連決議など海外派遣の際の厳しい条件を課すことが、平和憲法の精神を全うする上でより適切だと小林氏は語る。
改めて指摘するまでもなく、憲法は他の法律と異なり、国民からの政府への命令である。立憲主義の日本では国民自らが憲法について考え、権力による運用を監視していく責務がある。今回の改憲論議に落とし穴はないか、日本人の民度は自分たちの憲法を書けるところまで達しているのかなどを、護憲的改憲派の論客・小林節氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。