コロナ危機を日本のセーフティネットを張り替える機会に
慶應義塾大学経済学部教授
1961年東京生まれ。84年東京大学法学部卒業。葛飾区福祉事務所ケースワーカーなどを経て、2003年弁護士登録。07年より首都圏生活保護支援法律家ネットワーク事務局長、10年より日弁連貧困問題対策本部委員を兼務。著書に『権利としての生活保護法 - その理念と実務』。
われわれは社会のセーフティネットをどうすべきか。
先週政府は生活保護法改正案を閣議決定し、今国会で法改正に向けた審議が始まる。しかし、法改正の中身を見る限り、生活保護費の不正受給防止など、締め付け側に主眼を置いた改正のように見える。
確かに、生活保護の受給者数が215万人と過去最多を更新し、財政負担も3.8兆円にのぼる中、野放図に生活保護費をばらまく余裕はない。不正の防止も必要だろう。しかし、生活保護は社会の最後のセーフティネットだ。今われわれに必要なのは、最後のセーフティネットにこれだけ多くの人が頼らざるを得ない状況をどう改善するか、一時的にセーフティネットに救われた人たちをいかに社会復帰させていくかなど、セーフティネットをどうするかの本質的な議論ではないか。
昨年来、名の知れた芸能人の親族が生活保護費を受給していたことが発覚してメディアで大きく報じられたことで、国民は生活保護制度への不信感を募らせ、受給者に対してもより厳しい目線を投げかけるようになっているのはわかる。
しかし、生活保護費全体のうち不正受給が占める割合は0.4%程度だ。その一方で、日本の生活保護制度は世界でも類を見ないほど捕捉率、つまり政府や自治体が把握できている生活保護を必要としている世帯の比率が低く、本当に生活保護費の支援が必要な困窮者の2割程度しか生活保護を受けられていないのが実情なのだ。また生活保護の申請手続きの窓口となる市町村の担当部署では、あれこれ理由を付けて事実上申請を受け付けない「水際作戦」が日常化しているという。生活保護を受けられなかった困窮者が餓死したり、自殺したりするケースも相次いで報告されている。生活保護制度自体が根底から揺らいでいるのだ。
弁護士で、生活困窮者の支援活動に取り組んでいるゲストの森川清氏は「今回の改正によって受給申請のハードルがより高くなる」とまずは改正案の問題点を指摘する。今回の改正案では、生活保護を申請する際にこれまで以上にさまざまな書類が求められるようになるが、現行法の下でも水際作戦の一貫で「申請書を渡さない」「書類を受け取らない」などの行為が横行する中、更に提出しなければならない書類が多くなれば、より生活保護を申請しにくくなることは想像に難くない。森川氏は違法な「水際作戦」を助長しかねないと危惧する。
また、森川氏は近親者による扶養義務の強化にも懸念を持つ。日本では民法上、直系血族や同居の親族、兄弟姉妹、夫婦に互いの扶養義務を規定している。ただ現行の生活保護制度の下では、この規定は厳格には運用されていない。生活困窮者にはそれぞれに複雑な家庭の事情があることを勘案しての対応だ。これが今回の改正案では、近親者による扶養が義務化され、申請者本人だけでなく、近親者の収入や資産状況なども調査される可能性があるという。ますます生活困窮者はサービスの申請をためらうだろう。また、これに合わせて自治体などの調査権限強化につながりかねないことも懸念されるという。
生活困窮者向けの対策には、入りやすく(利用が容易)、出やすい(自立につながる)制度が必要だ。しかし、今の日本の支援体制は、利用しにくく、利用してもなかなか自立につながらないという課題を抱えている。そのため今回の法改正にあたり、生活保護法とセットで生活困窮者自立支援法案というものが提案されている。自立を促す制度は重要だが、森川氏は生活保護制度にこれだけの不備がある中では、自立を支援する制度も効果が期待できないばかりか、生活保護を受けにくくするための隠れ蓑に使われかねないことが危惧されるという。
保護が必要な人にはサービスは行き渡らず、国民は一部の不正に目くじらを立てて、行政は権限強化を狙うと同時に費用を削減しようとばかりする。こういう状況にあって日本のセーフティネットはどうなってしまうのか。持続可能な社会が必要としているのはどのような理念と施策なのか。生活保護法改正案の問題点から見えてくるわれわれ自身の問題、社会が抱える矛盾などについて、ゲストの森川清氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。