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2012年09月15日公開

イレッサ、アスベスト判決に見られる予防原則の危機

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第596回)

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ゲスト

1947年東京都生まれ。69年中央大学法学部卒。76年弁護士登録。薬害エイズ東京訴訟被害者弁護団事務局長、『医療問題弁護団』代表、薬害オンブズパースン会議代表。04年から、明治大学法科大学院教授を兼務。著書に『患者の権利とは何か』、共著『医療事故の法律相談』など。

著書

司会

概要

 スモン訴訟、クロロキン訴訟、HIV訴訟など数々の重大な薬害を経験してきた日本は、これまで多くの犠牲を払いながら少しずつ、薬害から患者を守るための「予防原則」を積み重ねてきた。しかし、われわれの先人たちの努力が1日にして吹き飛んでしまうような致命的な判決が、今、日本の裁判所によって相次いで下されている。
 5月25日、肺がん治療薬「イレッサ」の重大な副作用の危険を知りながら適切な対応を怠ったとして、死亡した患者の遺族らが国と輸入販売元の製薬会社に対し、計7700万円の損害賠償を求めていた裁判の控訴審で、大阪高裁(渡辺安一裁判長)は、逆転原告敗訴の判決を言い渡した。
 イレッサは広告やメディア報道によって承認前から副作用が少ない「夢の薬」として大きな期待が集まり、発売直後から多くの患者に投与された。しかしイレッサには、副作用として肺の間質(肺胞壁)に炎症をきたす間質性肺炎を発症する危険性があった。裁判で原告は、国と製薬会社がこの副作用の危険性を把握していたにもかかわらず、添付文書などでその周知を怠ったと主張していた。
 実際、イレッサは販売開始された7月から10月までに、128の副作用報告、62の死亡例数があったとされている。承認直後のイレッサの添付文書には、重大な副作用欄に間質性肺炎の記載はあったが、下痢や嘔吐など4つの副作用の4番目に記されたのみで、警告欄などへの表示は無かった。ところが、重篤な副作用の報告が相次いだことを受け、間質性肺炎のリスクが添付書類の冒頭の警告欄に赤字で大きく記載されるようになると、死亡者は急激に減っていった。
 裁判では一審で国の責任は否定されたが、輸入元のアストラゼネカ社の責任は認定していた。しかし、高裁判決は国、製薬会社ともに責任を認めない、原告にとっては厳しいものとなった。
 薬害イレッサ訴訟弁護団の水口真寿美弁護士は判決後の会見で、「日本に正義は無いのか」と問いかけた。
 薬害肝炎全国弁護団代表で薬害問題に詳しい鈴木利廣弁護士は、裁判所の判断の背景には、国の規制の手段が事前規制から事後規制にシフトする流れがあると指摘する。副作用のリスクが「否定できない」段階で国や製薬会社に事前規制を強いることは、経済発展にマイナスになるとの考えのもと、企業の活動の自由を国民の生命・健康より優先させる国の考え方が、裁判所にも影響していると言うのだ。
 しかし、こうした判断はいずれも、日本がこれまで積み上げてきた予防原則を覆すものに他ならない。予防原則とは、人体や環境に重篤かつ不可逆的な影響を与える可能性のある場合、リスクが十分に証明されていない段階でも一定の予防措置を取ることを求める考え方を言う。イレッサの場合、発売直後の副作用のリスクが十分に証明されていない段階でも、その疑いがあることがわかっていた以上、製薬会社には相応の措置を取る責任があり、国はそれを製薬会社に求める責任があるとするのが予防原則的な立場ということになる。
 イレッサ問題の背後には過去の薬害と共通する旧態依然たる問題も横たわっていた。地裁判決の前に、裁判所は一定範囲で原告の主張を認める和解勧告を出していたが、厚生労働省は医学界に働きかけ、「このような形で和解し、国が責任を認めれば、新薬の開発が不可能となる」という趣旨の声明を出させ、国が和解に応じるべきではないとの主張を展開させていたというのだ。こうしたやりとりの存在を明らかにするために、厚労省に対して情報公開請求が行われたが、出てきた文書は真っ黒に塗り潰されたものばかりだった。薬害の温床である「産・官・学の癒着」は依然として解消されていないようだ。
 イレッサの大阪高裁判決が下った5月25日は、神奈川建設アスベスト訴訟で、国と企業の責任を免罪する無罪判決が下された日でもあった。長年にわたる建設作業でアスベストの粉じんを吸い込んだために、肺がん、中皮腫、石綿肺などに罹患した神奈川県在住の被災者が、国と建材メーカーの責任を問うたものだが、ここでも裁判所は国や建材メーカーはアスベスト被害の危険性を十分に察知し得なかったとの判断を下している。
 高度経済成長の頃、数々の公害や薬害の訴訟が提起されたが、裁判所は経済成長を阻害することを避けるような判決を繰り返しながらも、多くの被害者の犠牲と努力の上に予防原則を積み重ねてきた。しかし今また、日本が予防原則を捨て、国や企業を優先する判決が下るようになった背景には何があるのか。弁護士として数々の薬害問題に取り組んできた鈴木氏と、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人が議論した。

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