トラウマを乗り越えることの難しさを社会は理解できていない
児童精神科医
2001年の番組開始以来12年目に入ったマル激。
当初のマル激はゲストを呼ばず、神保・宮台の2人がその週のニュースから様々な論点を見付け出して論じるスタイルだった。12年目の節目に、久しぶりにゲスト無しのオリジナルスタイルのマル激をお送りしたい。
巷では原発の再稼働や消費増税など、一年前に起きたあの震災や原発事故がまるでなかったかのように、ビジネス・アズ・ユージュアル(これまで通りの通常営業)が続いている。実際、今われわれが直面する問題のほとんどすべては、3・11よりずっと以前からわれわれが抱えていた問題であり、また以前から繰り返しマル激でも取り上げてきた問題だった。
マル激では当初は問題の核心やその背後にある構造を見極めることにエネルギーと時間を費やしてきたが、回を重ねるごとにそれだけでは何も変わらないと痛感するようになった。そして、それ以来、できるだけ手の届くところ(アームズレングス)で取っ掛かりを見つけるよう心がけてきた、つもりだった。しかし、実際は573回目の放送を迎えた今回にいたっても、それができているとはとても思えない。
むしろ、何が問題かはわかっているのに、そしてその処方箋も数多く提示されているのに、問題は一向に解決されず、事態が改善しないのはなぜなのか、そのための最初の取っ掛かりさえ見つけられないほど、われわれが放置してきた問題はわれわれのシステムにビルトインされ、システムの一部となってしまったのかもしれない。
おまかせ主義から脱却し、社会の諸問題を自分の問題として捉え、自分にできることからやっていく、民主主義の基本ともいうべき「参加と自治」の姿勢そのものは間違っていないはずだ。しかし、それを実践するための取っ掛かりがなかなか見つからなければ、いい加減いやになってくるのも無理はないだろう。
しかし、だからといって諦めるわけにはいかない。ゲーム版が壊れてしまっては、ゲームオーバーなのだ。これからのマル激は、これまでマル激が力を注いできたように、問題の本質とその背後にある構造をしっかりと見極めることを継続していくのと同時に、その解決の糸口となる「取っ掛かり」を見つけることを、新たな課題の一つに加えたいと思う。
これもまた、言うに易し。そう簡単にはいかないかもしれない。多分いかないと思う。しかし、11年前にまだ30代だった神保哲生と40代になりたての宮台真司の2人が、「結構日本やばいよね」、「社会死んでないか」、「世界がおかしい」、「メディア終わってるし」などの問題意識を共有し、そうした問題意識に働きかける手段を模索しようと暗中模索で始めたマル激は、これからも試行錯誤を続けていくしかない。
今週は12年目の節目を迎えたマル激が、12週年スペシャルと称して、特にテーマを決めず、今の日本と世界、そしてマル激がこれまで11年間かけて議論を続ける中で培ってきた問題意識を、神保哲生と宮台真司が自由に語り合った。