トラウマを乗り越えることの難しさを社会は理解できていない
児童精神科医
2011年が暮れようとしている。
昨年は、民主党政権の迷走、沖縄米軍基地問題の泥沼化、検察不祥事、尖閣ビデオやウィキリークスに見られる国家や既存メディアの信頼の失墜といった一連の出来事の中に、国や社会の屋台骨の揺らぎが、もはや崩壊寸前まで来ていることを多くの人が感じ取ったのではないか。
そして2011年、その屋台骨が本当に崩れてしまった。
東日本大震災と原発震災とその後の政府のあり方を見るにつけ、それ以前から機能不全に陥っていた日本の政治、経済、社会のシステムが、どれだけ無力かつ無能であるかを今も日々思い知らされている。
しかし、大震災という悲劇は、多くの人に日本がもう終わっていることを気づかせる貴重な機能を果たした。原発事故を受けて、日々行われている新しいエネルギー政策の策定を話しあう有識者会議も、気がつけば守旧派が何とか原発を継続させようと画策する場に成り下がっている。しかし、この震災を目の当たりにした人々が、こんなことを許すだろうか。今のところマスメディアはこの会議の実態を報じていないので、大きな騒ぎにはなっていない。しかし、これらの会議が答申をあげ、2012年の春から夏にかけて政府は新しいエネルギー政策を構築しなければならない。その時に、この震災がこれまでのやり方が通用しなくなるきっかけとなったかどうかの真価が、そして本当に痛い目にあったわれわれが、本気で政治や社会との関わり方を変える気があるかどうかが問われるにちがいない。
今年の年末マル激ライブは、震災と原発事故に揺れた1年を振り返り、この悲劇を奇貨として、来年はbusiness as usualを変えるために今われわれが何をしなければならないかを、神保哲生と宮台真司が議論した。