PCR検査とワクチン「世田谷モデル」から見えてきた日本の目詰まりの正体
世田谷区長
1955年宮城県生まれ。都立新宿高校定時制中退。教育ジャーナリストを経て96年衆院初当選(社民党)。当選3回(比例東京ブロック)。2009年総務省顧問。11年より現職。著書に『年金を問う—本当の「危機」はどこにあるのか』、共著に『どうなる!?高齢者の医療制度』など。
福島第一原発で退っ引きならない状況が続くさなかの今年4月、東京の世田谷区に明確に反原発を掲げる候補者が、保守系の候補を破って区長に当選した。教育ジャーナリストから社民党の代議士を3期務めた保坂展人氏だ。地方の大都市並の80万超の人口を抱える世田谷区は保坂氏の就任前、保守系の区政が9期36年続いていた、都内でも最も保守色の強い地域だった。そのような地域で反原発を掲げて当選した保坂氏は、世田谷で市民を巻き込んだ新しいタイプの区政を実現したいと抱負を語る。
衆院議員を落選浪人中だった保坂氏がこの4月、急遽、区長選に出馬したきっかけは、東日本大震災と福島第一原発事故だった。未曾有の非常事態に直面しながら政府の対応が後手後手に回る中、速やかに支援物資の提供を行ったり避難民を受け入れるなど、国の対応を待たずに独自の対応を行う自治体が相次いでいた。それを東京の杉並区や福島県の南相馬市で目の当たりにした保坂氏は、国政よりも自治体の長の決断が市民生活にはより大きな影響を及ぼしていることを痛感し、区長選への挑戦を決心したという 。
しかし、保坂氏は区長就任時の区職員への挨拶の場で、これまでの区の方針の95%は継承することを明言している。これは5%は大胆に変えさせてもらうという意思表示でもあるが、あえて5%という控えめな数字を提示したのは、国会議員時代の経験に基づいているという。何かを急激に変えようとしても、かえって強い抵抗に遭い結果的に何も変えられなくなる。既存の政策を活かしながら、5%の改革で住民参加型の自治体を実現したいというのが保坂氏の戦略だと言うが、区長就任半年あまりで、5%改革はどこまで進んでいるだろうか。
保坂氏の住民参加型区政の片鱗が明らかになったのが、先月、3マイクロシーベルトを超える高い放射線のホットスポットが区内の住宅街で見つかった時だった。これはもともと区内の市民団体が自ら測定したデータが、ツイッターを通じて保坂氏のもとに届けられたものだった。結果的にこの事件は家屋の床下にラジウムが入った瓶が放置されていることが原因だったが、区内にも独自に放射線量を測っている市民や市民団体は多い。その一方で、そうしたデータとは全く無関係に国や都、自治体が独自の測定を行っている。それらのデータを連携させることができれば、より充実した線量マップができるはずだと保坂氏は言う。
保坂氏の反原発区長としての真価が発揮されるのは、現在保坂氏が模索する「選べる電力」だろう。保坂氏はまだ詳細を明らかにしないが、世界で電力を選べないのは日本だけだと保坂氏は繰り返し発言している。地方自治体でもできる脱原発政策を世田谷から全国の自治体に向けて発信していきたいと言う保坂氏の次の一歩に期待がかかる。
保守の世田谷に誕生した反原発区長の保坂氏に、市民を巻き込んだ地方政治を実現するための戦略を聞いた。