浅田農産会長の自殺は防げなかったのか
内閣審議官
1960年東京生まれ。85年東京大学法学部卒業。同年TBS入社。スペースJキャスター、ニューヨーク特派員などを経て99年退社。フリージャーナリスト。市民メディアアドバイザー。01年東京大学社会情報研究所客員助教授。06年エネルギー情報研究会議委員。10年10月より現職。著書に『マスコミは何を伝えないか』、共著に『報道は何を学んだのか』など。
TBS時代はスター記者として数々のスクープをものにし、フリーに転じてからも常に日の当たるところを歩いてきたジャーナリストの下村健一氏が、昨年10月、何を思ったか、メディアでの確たる地位をすべて投げ捨てて、菅首相の広報担当審議官となった。早い話が政権を陰で支える裏方だ。
欧米ではジャーナリストが政治家の広報マンになることはある。有名なアメリカCBSテレビのエド・マローも晩年はケネディ政権の広報の仕事をしていたし、今回マードック盗聴スキャンダルで問題になっているニューズ・オブ・ザワールドのコールソン編集長はその後イギリスのキャメロン首相の広報担当になっている。(その人事のためキャメロン首相は政治的に傷ついてもいる。)
しかし、日本では第一線で活躍している現役のジャーナリストが、政府の、しかも総理大臣の広報を請け負うケースというは寡聞にして知らない。しかも、下村氏が政権入りした昨年10月は、尖閣沖中国船衝突事件の処理のまずさや柳田法務大臣の失言で菅政権の支持率がまさに超特急で急降下する最中にあった。そこに広報担当として飛び込むとは、まさに火中の栗を拾う行為だった。
それから約10ヶ月、菅首相は退陣の意向を明らかにし、早ければ今月中にも首相官邸の主が代わろうとしている。その下村氏にこの10ヶ月を振り返りながら、政権の中で下村氏ができたこと、そしてできなかったことを語ってもらった。