被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために
東京都立大学人文社会学部教授
1939年東京生まれ。66年千葉大学医学部卒業。69年マサチューセッツ工科大学研究員。74年千葉大学大学院医学研究科修了。医学博士。75年放射線医学総合研究所主任研究員。99年より現職。共著に『受ける?受けない?エックス線CT検査』、『これでいいのか 福島原発事故報道』、『脱原発社会を創る30人の提言』など。
福島第一原発事故発生直後から、政府関係者や専門家たちの口からは「ただちに影響はない」の言葉が繰り返し発せられた。しかし、これほど不誠実かつ無責任な言葉はない。それを霞が関文学的かつ医学的に翻訳すると、現在の放射線のレベルでは、高い線量の放射線を浴びたことによる皮下出血や脱毛、下血、嘔吐といった急性障害は起きないかもしれないが、弱い放射線への被曝や放射性物質を体の中に取り込むことによる内部被曝によって、数十年後にガンや白血病などの晩発性障害が発症するリスクは十分にある、というものになる。その意味では、極めて不誠実な言い回しながら、彼らは本当のことを言っていた。現在進行形で原発事故を抱える今日の日本にとって、いまわれわれが抱える最大のリスクは、低線量被曝や内部被曝による晩発性障害のリスクといっても過言ではないだろう。
放射線医学総合研究所に長年勤務し、現在は市民科学者の立場から生涯原発反対を唱えた高木仁三郎氏が創設した高木学校のメンバーでもある医師(医学博士)の崎山比早子氏は、事故発生当初から、こうした不誠実な情報発信のあり方に憤りを感じてきた。特に、科学者や医師たちのいい加減な発言によって、放射線の本当のリスクが見えにくくなり、誤った情報に基づく誤った判断で、多くの市民が命を危険にさらしている状況は看過できなかったと崎山氏は言う。
確かに、被曝後、何十年も経ってからガンなどの病気が発症する晩発性障害は、因果関係の証明が難しい。がんの発症には、いろいろな原因が複雑に絡み合うからだ。しかし、だからといって、一部の専門家が強調するように、低線量放射能被曝の影響は無視してもよいということにはならない。
崎山氏は放射線被曝にはしきい値、つまりここまでなら浴びても大丈夫という量は存在しないと理解すべきだと言う。どんなに少量の放射線でも、人間がこれを浴びれば、放射線は人間の体の細胞の、とりわけ遺伝子を破壊する。そして、それによって将来それがガンになる危険性は僅かずつでも確実に増していく。がんの発症が放射線被曝の積算蓄積量に比例することは、国際的な放射線の防護基準を策定している国際放射線防護委員会(ICRP)も含め国際的に広く認められており、学問的にはもはや疑いの余地はほとんどないと崎山氏は言う。
また、同じ理由から、大人と比べて子供は、細胞分裂が盛んな上に、大人より多くの放射線を吸収してしまう傾向がある。その後の長い人生の中で、他の様々な発がん因子の影響を受けることになる子供は、二重三重に大人よりも放射線に対する感受性が高い。その子供に年間20ミリシーベルトまでを許容量とした政府の決定は、言語道断だと崎山氏は言う。
にもかかわらず、ある程度の放射線を浴びても「ただちに問題ない」といった発言が、十分な情報や専門的知識を持っているはずの政府関係者や科学者、そしてマスメディアの解説委員等から次々と発せられるのはなぜか。崎山氏は、自分が所属する組織に対する従属や忠誠心を優先するあまり、本来は正しくないことを重々知りながら、そのような発言をしてしまっているのではないかとの見方を示す。
事故発生後、マスメディアで「ただちに」発言が横行し、政府や専門家に対する不信感が高まったことについて、崎山氏は日本で「市民科学者」が不在であることが問題だと言う。仮に、政府や電力会社から大きな助成金や寄付を受ける大学や研究機関に所属する科学者が政府よりの発言を繰り返したとしても、そのカウンターパートとなる市民科学者が科学的な根拠に基づいて、それに対抗できる情報を発信することができれば、市民は双方からの情報をもとに独自の判断を下すことが可能になる。
また、そもそも日本は情報発信ができていないばかりか、情報の受信すら正しくできていないと崎山氏は言う。放射線被曝に関係する海外の文献や論文には、必ずといっていいほど広島・長崎の調査データが登場する。しかし、海外では放射線被曝研究の定番となっている広島・長崎のデータが、日本では必ずしも十分に活用されていないというのだ。
医療の専門家として、国の専門機関である放医研(2001年4月から独法)から高木学校所属の市民科学者に転じた崎山氏と、いまだ政府によって十分に説明されていない放射線被曝の本当のリスクと、それがきちんと説明されない理由やその背後にある市民科学者不在の問題などを議論した。