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2020年01月01日00時00分 (期限はありません) |
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1962年愛知県生まれ。1986年東京大学経済学部卒、1992年スタンフォード大学大学院開発経済学修士課程修了、1996年ウィスコンシン大学マディソン校大学院開発経済学博士課程修了。東亜燃料工業、海外コンサルティング企業協会、世界銀行を経て、1998年明治学院大学助教授。北海道大学助教授、大阪大学准教授などを経て、2009年から現職。2001年から2003年まで国連開発計画(UNDP)上級政策アドバイザーを兼務。
日本人の生活への満足度を調べた2005年の内閣府の調査によると、今の生活に「満足している」と答えた人の割合は4パーセントにも満たなかったそうだが、その一方で、国民の97%が「幸せ」と答える国がある。「幸せの国」として世界的に注目を集めているブータンだ。
ブータンはヒマラヤ山脈の麓に位置し、日本の九州ほどの広さの国土(4万平方キロメートル)に東京の練馬区ぐらい(70万人)の人たちが住んでいる。主要な産業は農業でチベット仏教を国教とし、役所での執務や通学時には「ゴ」や「キラ」という伝統衣装を着用しなければならない。一方で険しい国土を生かした水力発電で電力を隣国インドに輸出し、経済成長率6.8パーセント(ブータン政府資料2009年)など高度経済成長国という側面もある。
ブータンは1976年、第5回非同盟諸国会議で第4代ワンチュク国王が「GNH(Gross
National Happiness)の方がGDP(Gross National
Product)よりも大切である」と発言して以来、GNHを国是とする国として知られるようになった。2008年に制定された憲法の9条には「ブータン政府の役割は国民が幸福(GNH)を追求できるような環境整備に努めることにある」と記されている。
GNHが有名なブータンではあるが、決して経済発展を否定しているわけではないと、ブータンを研究している関西大学社会学部の草郷孝好教授は指摘する。経済発展は必要だが、それは国にとっても個人にとっても目的ではない。あくまで生き方の充足が目的であることを明確にした上で、経済発展をその目的に資する形で活かしていくのがブータン流だという。
実際、草郷氏とブータンGNH研究所などの調査では、ブータン人が考える幸せに必要なものの上位には「お金」「健康」「家族」などが並び、それ自体は日本や他の先進国と変わらない。
ではなぜ、ブータンの人々は自分たちが幸福だと思えるのか。その中には、伝統や環境、国王に対する愛着などいろいろな要素があるが、最終的にそれは家族や地域とのつながりではないかと草郷氏は語る。同じ調査で、家族関係について、9割以上が「満足している」と答えた。
ところが、ブータンに負けないような地域の価値を作り出すことに成功している地域が日本にも存在する。経済発展の負の遺産である公害の代名詞となった、あの水俣病の熊本県水俣市だ。1956年から公式に水俣病が確認されてから、半世紀が過ぎ、現在水俣は知る人ぞ知る、日本初の環境モデル都市として生まれ変わっている。公害都市から環境都市へ、行政と市民が二人三脚になってマイナスをプラスに変えてきた1990年以降の水俣市の歴史は、ブータンの共通するものがあるばかりか、今回の被災地復興の手がかりになるのではないかと草郷氏は話す。
水俣の歴史は福島と重なる。水俣病発生当時、水俣の人々は就職、税収など社会生活の全般で、チッソに依存していた。そのため水俣では水俣病に苦しむ人々とチッソに依存する住民との間で対立が生じ、地域コミュニティは分断されたという。しかし、その後1990年代に住民、行政側それぞれからコミュニティ再生の動きが出始め、1994年当時の水俣市長吉井正澄氏が「もやい直し」を提唱し、それぞれの立場の違いを乗り越え、水俣再生へ取り組んでいくことになった。
水俣再生の秘訣は、市民が何をしたいのかを行政がつかみ、それをサポートする、「行政参加」だったと草郷氏は言う。従来の「市民参加」は行政がグランドデザインを描き、そこに市民が協力する形だったが、水俣はあくまで住民側の主体性にこだわった。その結果、住民主体のゴミ減量運動や20種類以上のゴミ分別などが行われ、2008年には日本初の環境モデル都市に選ばれた。
ブータンと水俣に共通している点として、草郷氏は「無い物ねだり」ではなく、「ある物探し」をしたことではないかと言う。
震災を奇貨として、被災地、そして日本を再び幸せな国に変えていくために、今われわれに何ができるかを、ブータンと水俣の事例をもとに、草郷氏と考えた。