被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために
東京都立大学人文社会学部教授
1960年岐阜県生まれ。83年豊橋技術科学大学工学部建設工学課程卒業。85年同大学工学研究科修士課程修了。90年同大学工学研究科博士課程修了。工学博士。(株)東海総合研究所研究員、名古屋商科大学専任講師などを経て05年より現職。(株)アイ・ディー・エー社会技術研究所取締役所長、東京大学客員教授などを兼務。
東日本大震災の発生から3週間が経過した。警察庁のまとめでは、死者・行方不明者は、2万8千人を超えた。岩手県、宮城県の三陸海岸沿いの地域では、津波によって多くの人が犠牲となった。この地域は、過去にも1896年の明治三陸沖地震、1933年の昭和三陸沖地震などで津波の被害を受けてきたため、防波堤を建設するなどの津波対策が念入りに講じられてきた。しかし、今回の津波は防波堤を建設する際の「想定」を超えた高さで襲いかかった。各地の防波堤は決壊し、集落はがれきの山と化した。
津波防災学の専門家で群馬大学大学院教授の片田敏孝氏は、三陸沿岸について、ここまで津波対策を講じてきた地域は他にない、全国的にみると防波堤などの防災施設がかつては毎年数千人を超えていた自然災害の犠牲者を100人以下まで減らしてきたと話す。一方で、自然は常に「想定」を超えるものであるにもかかわらず、こうしたハード面での対策が、「防波堤があるから安心だ」という気持ちを住民に与えてしまったのではないかと悔やむ。
岩手県釜石市の防災教育に携わってきた片田氏が子ども達に教えてきたのは、「『想定』にとらわれない」こと、「その場でできる最善をつくす」こと、「とにかく高いところへ逃げ、自分の命を守る率先避難者たれ」ということだった。三陸沿岸の地域には、「津波てんでんこ」という言葉がある。津波がきたときは、自分以外の人が心配でも、とにかくまず自分の命を守ることを考え、てんでばらばらに高いところへ逃げなさいという教えだ。長く津波に苦しんできたこの地域で、家族全滅を防ぐ知恵として伝わってきた言葉だという。同市は、死者・行方不明者が1300人を超えており、湾に面した地域は建造物がほとんどなくなる被害を受けた。しかし、登校していた約3000人の小中学生は、ほぼ全員が無事だった。津波はここまではこないから大丈夫だと言う自分の祖母に、「学校で習った、危ない」と声を掛け、逃げることができたケースもあったという。
今も行方不明者の捜索が続き、多くの被災者が不自由な避難生活を続けている。甚大な被害をもたらしたこの大震災・津波をわれわれはどのように考え、何を学ぶべきなのか。「想定外」を想定し、猛威をふるう自然災害に対抗する防災とは、どうあるべきなのか。「万里の長城」と呼ばれる高さ約10m、全長約2400mの防潮堤を持つ岩手県宮古市田老地区の破壊状況と、ほぼ海抜0mに位置する場所に小中学校がありながら、登校していたほぼ全員が無事避難した同県釜石市鵜住居町の映像を交え、片田氏とともに、神保哲生と宮台真司が議論した。