公益通報者を逮捕し報道機関にまでガサ入れをする鹿児島県警をどう裁くべきか
ジャーナリスト
1966年長野県生まれ。90年慶應義塾大学文学部卒業。同年共同通信社入社。大阪社会部、成田支局、東京社会部、外信部、ソウル特派員などを経て06年退社。著書に『日本の公安警察』、『国策捜査』、『絞首刑』など。
1970年愛知県生まれ。03年パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。東京大学21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」研究員、東京外国語大学非常勤講師などを経て、現職。著書に『国家とはなにか』、『暴力はいけないことだと誰もがいうけれど』、共著に『超マクロ展望世界経済の真実』など。
新しい1年が始まった。2011年の課題は何なのか。今年、われわれは何を考え、課題の克服にどう取り組んでいけばよいのか。マル激常連のジャーナリスト青木理、哲学者の萱野稔人とともに、宮台真司、神保哲生が議論した。
昨年2010年は、民主党への期待外れのムードが広がる中、経済政策は迷走を続け、財政状況も悪化の一途をたどった。また、検察の信頼が失墜し、ウィキリークスや尖閣ビデオの流出などにより、既存メディアのあり方が根幹から問われた一年でもあった。
海外はどうだったか。アメリカでは絶大な人気を誇ったオバマ政権が失速し与党民主党が中間選挙で敗北、イギリスでも政権交代が起きるなど、先進国の政治状況が軒並み不安定な一方、GDPで日本を抜いて世界第二位に躍り出た中国を筆頭に、新興国の台頭がより顕著になった一年でもあった。
こうした内外の一連の出来事は、歴史的、哲学的にはどのような文脈で理解すればよいのか。日本では行政官僚制に挑戦した民主党の「政治主導」が頓挫したかに見えるが、行政官僚制も守護神とも呼ぶべき検察が存亡の危機に瀕している。この現状を、われわれはどう理解すべきか。それだけではない。行政官僚制と二人三脚で権力を事実上独占してきたマスメディアの凋落ぶりは何を意味しているのか。
そうした現実を踏まえた上で、「財政、税制改革。パイはもう広がらないという現実を受け入れることができるか。」(萱野)、「検察が正義だったのは、メディアがさぼってきたから。検察のスーパーパワーを削ぐチャンス。」(青木)、「行政は自分たちの共同体を守ってくれているかを絶えずチェックすること。近いものしか信じないこと」(宮台)、「2010年は当たり前のものが当たり前でなかったことに気づかされた1年。2011年は当たり前のものを再構築する1年」(神保)等々、2010年が残した課題と2011年のポイントは何かを議論した。