大震災でも変われない日本が存続するための処方箋
東京工業大学名誉教授
1948年神奈川県生まれ。72年東京大学文学部卒業。77年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。執筆活動を経て、89年東京工業大学助教授、95年より現職。06年より同世界文明センター副センター長を兼務。著書に『冒険としての社会科学』、『はじめての言語ゲーム』など。
「近代とは何であるか」を問い続けた稀代の学者小室直樹氏が、先月4日、この世を去った。大学など研究機関に属さず、「在野」の研究者としてわれわれ一般市民に向けて語り続けた小室氏の功績は、余人をもってしても代えがたい。また、小室氏は、マル激の司会者宮台真司が最も大きな影響を受けた学者でもある。そこで今回マル激では、追悼特別番組として、小室氏のもとで学んだ社会学者の橋爪大三郎東京工業大学教授と宮台真司の両名とともに、小室氏の追悼特別番組をお送りする。
橋爪、宮台両氏が師と仰ぐ小室直樹氏とは、いったい何者だったのか。一般には、1980年に出版した『ソビエト帝国の崩壊』でソ連崩壊を10年以上も前から正確に予測したことや、ロッキード事件で世間の大バッシングを浴びた田中角栄元首相を一貫して擁護する論陣を張ったことが広く知られている。
しかし、小室氏を語る上で特筆すべきことは、非常に多岐にわたる学問を修めていることだと、橋爪、宮台両氏は言う。京都大学で物理学と数学を学んだ後、大阪大学大学院で経済学を学び、フルブライト留学生として渡米して当時の第一線の研究者のもとで、計量経済学、心理学、社会学を学び、帰国後は東京大学大学院で法学博士号を取得している。これらすべての学識を集めて、分析を行った。
小室氏をここまで学問へと突き動かしたものは、小室氏が12歳で迎えた敗戦があると、橋爪氏は話す。敗戦時、まだ若い小室氏が「世界がガラガラと崩れたような感覚」を覚え、その後、敗戦の屈辱を噛みしめながら、近代の基本原則を熟知する以外に欧米諸国に対する捲土重来を果たせる手段はないと考えたことが、小室氏をもっぱら学問の道へと向かわせたという。
小室氏は一貫して田中角栄を訴追した特捜検察や裁判所を批判したが、そこには高級官僚たちが「主人であるはずの市民を甘く見ている」ことへの怒りがあったと橋爪氏は言う。汗水垂らして働き、日本を支えている市民に民主主義を理解させ、ツールとしてその使い方を伝えることが、小室氏の仕事だった。「社会の構造への怒りを、学問で解決」(宮台氏)しようとした人生だった。
小室氏の軌跡を辿りながら、いま起きている検察事件を小室氏はどう見るかを、小室氏の薫陶を受けた橋爪、宮台両氏とともに議論した。
■故・小室直樹氏には、2005年4月24日に番組にご出演いただき、貴重なお話をお伺いしました。ここに謹んで深く哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。