独立を強行したカタルーニャは何を求めているのか
法政大学国際文化学部教授
1957年和歌山県生まれ。80年慶應義塾大学法学部卒業。90年同大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。二松学舎大学助教授、横浜国立大学大学院教授などを経て04年より現職。著書に『欧州連合 統治の論理とゆくえ』、共著に『EUのガヴァナンスと政策形成』など。
ギリシャの財政問題に端を発するユーロ危機は、EU(欧州連合)がIMF(国際通貨基金)を巻き込む形で7500億ユーロ(約85兆円)相当の財政支援を行うことで、当面の決着を見た。しかし、今後、スペインやポルトガルなど多額の財政赤字を抱える他のユーロ圏諸国への波及も懸念され、ユーロ危機は依然として予断を許さない状況が続いている。
そもそも今回のユーロ危機は、通貨を統合し金融政策だけは欧州中央銀行の下に一元化しながら、財政や経済政策はユーロ加盟各国に委ねられているという現在のEUの統治構造の矛盾を浮き彫りにしたものだった。果たしてこれはユーロへの通貨統合の失敗を意味するものなのか。欧州同盟という長く壮大な試みは、この先どこへ向かうのか。
EU研究の第一人者でEUからEU専門家の証であるジャン・モネ・チェアの称号を授与されている慶應義塾大学の庄司克宏教授は、今回の危機をきっかけにEU内では各国の主権にまで踏み込んだより緊密な統合を図ろうとの機運も生まれてきているが、そのためには条約改正が必要となるため、その実現には高いハードルが存在すると指摘する。EUという構想自体が、一見主権の返上を含む国家の統合を指向したもののように見えながら、実は、加盟国の主権を守るための手段としての経済統合という性格を持って始まったからだと言う。
EUの母体となる1952年の欧州石炭鉄鉱共同体(ECSC)の設立は、第二次世界大戦の戦後処理として仏独の不戦共同体をつくるという目的で進められたものだった。とりわけ第一次大戦、第二次大戦と立て続けに世界戦争の発端を作ったドイツが、再び戦争を起こさないような体制を作ることが、戦火で荒廃した欧州にとっては喫緊の課題だった。
その後EEC(欧州経済共同体)、EC(欧州共同体)を経て1993年のEU発足、1999年のユーロへの通貨統合へと進化を繰り返してきた欧州同盟だが、一般にEUに至る経緯は、専ら経済的な統合を進めてきたように見られることが多い。しかし、庄司氏は、EUの歴史は、むしろその時々の政治的課題を解決するための手段として経済的統合を利用してきたものだったと言う。発足時の石炭鉄鋼共同体も、結局は戦争経済を支える産業の共有が目的だったし、経済的に貧しい小国のギリシャが1981年にEC加盟を認められたのも、頻発するクーデターを押さえ込み、民主主義を安定させるという狙いがあったという。
つまり、EUの経済統合は、一見経済的なメリットを得ることを目的としているように見えながら、実は高度に政治的であり、また安全保障政策の一環でもあったというのだ。
そのようなEUの歴史の中で、今回のユーロ危機が、大きな挫折となったことは否定できない。ギリシャなどの弱小国のユーロ脱退や、ユーロ危機のツケを回されるドイツのマルク回帰さえ取り沙汰されている。だが庄司氏は、ヨーロッパがEUやユーロという、苦難の末に勝ち取ったツールを簡単に手放すことはないだろうとの見方を示す。
EUはそもそもヨーロッパ的価値観で世界をリードしたいと考えるヨーロッパ人たちが、米ソ、ひいては中国・インドなど非ヨーロッパ的なる価値に対抗するために作り出した、多分に理念主導型のものだった。CO2の排出権取引市場など、EUやユーロというツールを手にしたからこそ、ヨーロッパが世界で主導権を持つことができている分野は多い。今回の挫折を乗り越えて、ヨーロッパはこれからも環境、科学技術、人権などの分野で世界のリーダーシップをとろうとしてくるだろうと、庄司氏は予想する。
ユーロ危機であらわになった経済統合の限界などEUが抱える問題、そして東アジア共同体構想をマニフェストに明記した日本の民主党政権がEUの経験から学ぶべきことは何かなどについて、EU専門家の庄司氏と議論した。