自民党に歴史的大敗をもたらした民意を読み解く
慶應義塾大学名誉教授
1960年鳥取県生まれ。85年東京都立大学人文学部卒業。新聞資料センター主宰、愛知大学助教授などを経て、06年より現職。著書に『日本の外交は国民に何を隠しているのか』、『国連と日本』など。
戦後の日本外交を象徴すると言っても過言ではない、核兵器の持ち込みをめぐる日米間の密約が、皮肉にも日本外交の実態を白日の下に晒し始めている。
60年の日米安保改定時に、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過を日本が容認したとされる「密約」は、過去にライシャワー元駐日大使の証言や機密指定が解かれ公表された米公文書資料によって、その存在が何度となく取りざたされてきた。しかし、このたび村田良平元外務次官らが密約の存在を正式に認めたことで、密約の存在を否定し、非核三原則を国是として掲げてきた日本政府の外交政策の正当性が、いよいよ問われる事態を迎えている。なんと言っても日本は、唯一の被爆国として戦後一貫して核兵器に反対し、核軍縮に努めることを国内外に向けて高らかに謳ってきた国だ。にもかかわらず、その国が実は自国への核兵器の持ち込みを容認し、しかもその事実を50年間も隠し続けていたということになるからだ。
日本政府は依然として、密約の存在も、核持ち込みの有無も言下に否定するばかりで、半世紀もの間、その存在を否定し続けてきた理由を説明しようとしない。そのため日本では、米軍の核持ち込みが容認されているという現実の上に立って、これからの安全保障を議論することすら、できないでいる。
国益を守るためには、自国民や他の国に対して外交交渉のすべてを明らかにできない場合もあり得るだろう。その意味では、密約そのものを全面的に否定すべきではないかもしれない。ただし、それは一定の期間を経た後に、必ず事実が明らかにされ、その正当性が検証されることが大前提となる。この期に及んでも、密約の存在すら認められない日本政府や外務省の立場を見ると、そもそもこの密約が真に国益を守る目的で秘密にされてきたかどうかすら、怪しくなってくる。
日本外交をウォッチしてきた愛知大学の河辺一郎教授は、日本は外交の舞台で核軍縮に関してイニシアチブをとったこともなければ、国連の核兵器に反対する議決に対しても、率先して反対もしくは棄権をしてきたのが現実だという。安全保障政策においてアメリカの核の傘に依存する日本にとって、核軍縮はもはや外交上の大きな関心事ではなかったのだ。むしろ、核の傘を提供してくれているアメリカの意向を慮ることこそが、日本外交にとっては唯一無二の重要課題であり、こと外交に関する限り、それ以外のことは真剣に考える必要すらなかった。
つまりアメリカの核の傘に守られているからこそ、そしてそれが密約という形で担保されているからこそ、日本は表面上は非核三原則や核廃絶や平和主義を訴えることができたが、実際にその真贋が問われる外交交渉や国連決議の場では、実は日本外交は何度も馬脚を現していたということになる。知らぬは日本人ばかりなりということか。
河辺氏は、日本の外務省が事実上法を超越した存在として、国会のチェックすら及ばない状態にあることに、日本外交が国民から乖離したり、暴走したりする原因があるとの見方を示すが、その一方で、その責任は外務省だけはなく、外交政策のチェックや検証を怠ってきた外交の専門家やジャーナリストにもあると指摘する。
来る総選挙で民主党が勝利し、政権交代が実現した時、日本のチェック無き外交の病理を断ち切る千載一遇のチャンスがめぐってくる。しかし、今のところ外交政策や外務省のあり方が選挙の争点になる気配は全く見られない。残念ながらこれが今の日本の実情のようだ。
今回は密約問題を入口に日本外交が抱える問題を河辺氏と議論した。また、国連の専門家でもある河辺氏に、民主党の国連中心主義への評価を聞いた。