自民党に歴史的大敗をもたらした民意を読み解く
慶應義塾大学名誉教授
1976年東京都生まれ。01年東京大学法学部卒業。06年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。06年より現職。法学博士。
世論という魔物が、政界はおろか、日本中を跋扈しているようだ。
支持率の低迷で、自民党内からも公然と退陣を求める声が上がるなど、麻生降ろしが本格化し始めている。もともと国民的人気が高いという理由から、選挙の顔として擁立されたはずの麻生首相だが、今は人気の無さを理由に、首相の座から引きずりおろされようとしている。これも世論らしい。
かと思うと、宮崎県で圧倒的な人気を誇る元タレントの東国原知事の国政進出をめぐり、自民党の大幹部が右往左往するなど、いつ来てもおかしくない総選挙を控え、政界は「人気がすべて」の様相を呈し始めている。これも世論だそうだ。
確かに人気は民意を推し量るバロメーターの一つかもしれない。しかし、人気が政治を支配するようになると、何か大切なものが失われるような思いを禁じ得ない。そもそも私たちが「人気」と呼んでいるものに、実態はあるのだろうか。
人気を測るツールの一つに世論調査というものがある。民主政治を機能させる目的で戦後直後に新聞社によって始められた世論調査は、今や毎月のように頻繁に行われるようになったが、少なくとも当初の世論調査は「輿論(よろん=public opinion)」を知るための手段と考えられており、現在のような単なる「大衆の気分」を意味する「世論(=popular sentiment)」の調査ではなかったと言われる。世論調査を報じる新聞記者たちの間にも、「輿論を聞け、世論には惑わされるな」という意識が共有されていたそうだ。
しかし、いつしか「輿論」は「世論」に取って代わられ、政治は変質を始める。もともと代議制は、世論の政治への影響を緩和するための間接民主主義としての意味を持つが、人気に振り回されている今のポピュリズム政治は、事実上直接民主制と何ら変わらないものになっている。
現在の政治はこの世論の動向に敏感に反応し、世論が政策決定にも大きな影響を及ぼすようになっている。政府は長期的には重要であることが分かっていても、短期的に不人気になる政策を実行することがとても難しくなり、外交や死刑制度といった国民の生活に関係する問題も、いわば俗情に媚びた決定を繰り返すようになった。
世論調査に詳しい政治学者の菅原琢東京大学特任准教授は、そうした傾向の中で、ポピュリズム政治の代名詞と見られることが多い小泉政権こそが、最近ではもっとも世論をうまく利用した政治のお手本だったとの見方を示す。そしてそれは小泉首相が、人気取りをしなかったところに、そもそもの勝因があると言うのだ。
確かに、日朝会談や郵政選挙など、小泉政権を代表する政策は、必ずしも当時の国民の間で人気の高い政策ではなかった。しかし、小泉首相は次々と大胆な改革を断行することで世論を味方につけ、高い内閣支持率を支えに、さらに次の改革を打ち出すことで、長期にわたり高い国民的人気を維持することに成功した。政策の中身の是非はともかく、小泉政権の高い人気が、結果的に過去の政権が成し遂げられなかった多くの施策の実現を可能にしたことは紛れもない事実と言っていいだろう。
しかし、その後の自民党政権は、逆に人気ばかりを気にするあまり、思い切った政策を打ち出すことができなくなっている。一時的に人気のある人を首相に据えても、政策的に無策なため、たちまち支持率が低迷し、ますます大胆な政策が打てなくなる悪循環に陥っている。高い人気に後押しされて大きな成果をあげた小泉政権と、人気を気にし過ぎるが故に、大胆な施策を打てない安倍政権以後の政権のあり方は、実に対照的だ。
一方、財源問題を抱える民主党も、支持率低下を恐れて、消費税は絶対に上げないことを公約するなど、明らかな人気取りに走っている。政権を取るためにはやむを得ない選択との指摘もあるが、小泉政権とそれ以後の政権の対比から、政治は何も学んでいないのだろうか。
しかし、泣いても笑っても、天下分け目の総選挙は近い。有権者の中にも、世論調査や選挙予想を気にしながら、そろそろお目当ての候補者を見定め始めている人も多いはずだ。また、各党の人気取り合戦の方も、いよいよ熱を帯びてきている。
政治に限らず、我々の周りには人気投票やランキングであふれかえっている。そうしたものに振り回されないで生きるためには、我々は何を支えに、どのような視座で「人気」というものを考えればいいのだろうか。
今週は世論調査を入り口に、「輿論」と「世論」の違いや「人気」との付き合い方を議論した。