遺伝子組み換え食品とアメリカの世界食糧戦略
市民バイオテクノロジー情報室代表
DNA鑑定を含む科学技術は、もともと誰のためにあり、何のためにそれを刑事捜査に導入するのだろうか。この問いに対する一般的な答えは「真犯人を逮捕するため」となるに違いない。それだけなら、恐らく誰も文句は言わない。しかし、ここで言う「真犯人の逮捕」の中に「犯人ではない人の無実を明らかにするため」が含まれていなければ、それは単なる警察の捜査権限の拡大を意味することになる。
4歳の女児が殺害された足利事件で、無期懲役が確定し服役中だった菅家利和さんが、DNA再鑑定の結果、無罪であることが確実となり、4日、千葉刑務所から釈放された。
菅家さんを犯人と断定する上で決定的な役目を果たしたDNA鑑定が、およそ20年の月日を経てその精度を増し、結果的に菅家さんが犯人ではないことを証明した結果だった。
無実の身で17年間刑務所に拘留された菅家さんの心中は察するに余りあるものがあるが、この問題が最新のDNA鑑定技術によって解決されたことで、DNA鑑定万能論とも呼ぶべき空気が蔓延しつつあることには注意が必要だ。
早くからDNA鑑定に関心を持ち、著書『DNA鑑定—科学の名による冤罪』の中で足利事件が冤罪である可能性を10年以上前から指摘してきたジャーナリストの天笠啓祐氏は、DNA鑑定があくまでDNAの型を調べている「DNA型鑑定」であることを強調する。警察が用いているMCT118と呼ばれるDNA鑑定は、血液型のA型やO型と同じように、DNAの塩基配列の中の、ある特定部分の塩基配列(より厳密にはある特定の配列が繰り返される回数)に基づきDNAを類型し、その一致の是非を調べているに過ぎない。被疑者のDNAが犯人のDNAと一致したと考えるのは、大きな間違いだ。
また、どんなにDNA型鑑定技術そのものの精度が上がっても、鑑定の対象となるDNAサンプルの採取は人間の手で行われる。その段階での不適切なサンプル処理や、杜撰な証拠管理によって、結果は大きく左右されることになる。そもそも、その段階で証拠のねつ造などが行われてしまう可能性も考え合わせると、DNA鑑定の結果で犯人を断定してしまうような空気には、かなりの注意が必要だ。
そもそも足利事件では、菅家さんは自白を取られている。釈放後の記者会見で菅家さん自身が、警察の暴力的な取り調べによって自白を強要された事実を明らかにしているが、当時より格段に精度を増したとされるDNA鑑定の結果を突き付けられ、肉体的にも精神的にも追い詰められた状況の下で自白を強要された時に、いったいどれだけの人が最後まで抗うことができるだろうか。
そうしたことまで考え合わせると、今回の冤罪事件を不確かなDNA鑑定だけの問題に帰結することは、逆に進歩した今日のDNA鑑定技術に過度の信頼性を持たせ、冤罪の再発の原因となる危険性をはらんでいると思えてならない。
もともと菅家さんの冤罪を招いたDNA鑑定技術について、当時のマスメディアは、それを画期的な技術として持て囃すような報道を繰り返していた。
天笠氏は、現在のDNA鑑定は、DNAの型の違いを明らかにすることで、ある人の無実を証明するためには有効だが、誰かを犯人と断定するには十分な注意が必要だと警鐘を鳴らす。そうでなくとも日本の取り調べのあり方や刑事訴訟制度上の問題が指摘されている。そうした中にあって、新しいDNA鑑定の技術が、「犯人を見つけるために有効なツール」とメディアや識者に囃される一方で、必ずしも「被疑者の無実を証明するためにも有効なツール」とは受け止められていないところに、現在の刑事制度が抱える本質的な問題の一端が垣間見えると言っては、言い過ぎだろうか。
アメリカでは、被告にDNA鑑定を受ける権利があり、これまでに200人以上の冤罪が明らかになっているが、その中にはすでに死刑が執行されたケースもあったという。日本では、DNA鑑定のために冤罪が生まれているとすれば、その違いはどこにあるかを、十分考えてみる必要があるだろう。DNA鑑定がもっぱら捜査機関のみに活用され、被告人の利益になっていないとすれば、それはDNA鑑定そのものの問題ではなく、日本の刑事制度そのものの問題である可能性が大きい。
今回は足利事件の冤罪問題を入り口に、DNA鑑定がどのようなもので、それは一体誰の利益に資するべきものなのかを、天笠氏とともに考えた。