五輪談合事件に見る、捜査能力の劣化で人質司法に頼らざるをえない特捜検察の断末魔
弁護士
1953年和歌山県生まれ。77年慶應義塾大学法学部卒業。同年、産経新聞社入社。東京本社社会部、バンコク支局長、横浜総局次長、東京本社社会部次長などを経て00年退社。01年角川書店編集者、03年よりフリー。05年フジサンケイビジネスアイ記者、06年より現職。著書に『歪んだ正義』、『真実無罪』など。
民主党の小沢代表の公設秘書が逮捕された直後から、総選挙を間近に控えた今の時期に、政治資金規正法の虚偽記載という形式犯で野党党首の秘書をいきなり逮捕する東京地検特捜部の捜査手法に疑問を投げかける声が、方々であがった。小沢氏自身、秘書が逮捕された直後の記者会見で、「政治的にも法律的にも不公正な検察権力、国家権力の行使だ」と語っている。
実際、国策捜査などという言葉がメディア上でも飛び交い、検察に対する不信感はこれまでになく高まっているようだ。
また、その一方で、特捜部が強制捜査に乗り出した以上、何か大きな事件がその背後に潜んで
いるに違いないとの指摘も根強い。特捜検察があえてこの時期に野党党首の秘書を形式犯だけを理由に逮捕するとは考えにくいからだ。
しかし、『歪められた正義』、『真実無罪—特捜検察との攻防』などの著書で特捜検察の問題点を指摘してきた産経新聞社会部編集委員の宮本雅史氏は、市民の検察に対する過度の期待が、検察を暴走に駆り立てる危険性をより大きくしていると警鐘を鳴らす。造船疑獄事件やロッキード事件といった大型の疑獄事件を通じて、特捜検察は大事件を解明し、大物政治家を逮捕するのが当たり前のように思われているが、それが検察にとっては耐え難いプレッシャーになっているというのだ。
逆に言えば、検察が小さな事件を扱うことがあってもいいではないかと宮本氏は言う。「入り口は小さく、出口は大きく(小さな事件から捜査に着手し、最終的には大物を摘発する)」が検察の伝統的な手法だが、小さな入り口から入ったものの、最後まで大物が出てこない場合があってもおかしくはない。必ず大物を捕まえなければならないというプレッシャーがあると、検察が無理矢理事件のシナリオを創作してしまうような危険を犯すことにつながると、宮本氏は危惧する。
とはいえ、重大な問題もある。もし検察が暴走したときに、それをチェックする機関が今の日本には存在しないということだ。宮本氏は、本来は裁判所が公正な立場で検察の言い分を検証する役割を果たすべきだが、日本の裁判所は検察の調書に依存しているため、その機能を果たせていないという。日本にも検察をチェックする第三者機関が必要だというのが、宮本氏の主張だ。
数々の疑獄事件を経る中で法律が強化された結果、政治資金はかなりガラス張りになっている。そうした時代の特捜検察の存在意義とは何なのかを、宮本氏と議論した。