米中貿易戦争と「Q Anon」とトランプ政権の行方
双日総合研究所チーフエコノミスト
1960年富山県生まれ。84年一橋大学社会学部卒業、同年日商岩井(現双日)に入社。91年米国ブルッキングス研究所客員研究員、93年経済同友会調査役などを経て、03年より現職。著書に『アメリカの論理』、『1985年』など。
11月4日の米大統領選挙は、投票日を10日後に控えた今、民主党のバラク・オバマ候補が相当の差をつけて共和党のジョン・マケイン候補に勝利する見通しが、はっきりと見えてきたようだ。
米国では初となる黒人大統領の誕生、8年ぶりの政権交代、20年ぶりのクリントン・ブッシュ家以外からの大統領誕生、80年ぶりとなる正副大統領の出馬しない選挙、民主、共和両党ともに大本命候補の敗退、党大会までもつれ込んだ民主党の候補者選び等々、初物や異例さには事欠かない選挙戦となったが、そうした話題性を横に置いても、今回の大統領選挙はいくつかの点で重要な意味を持っている。
長年大統領選挙をウォッチしてきた双日総合研究所の吉崎達彦副所長は、2つの点で今回の大統領選挙は重要な意味を持つと指摘する。
まず、オバマという47歳で黒人の民主党候補者が、これだけ広範な支持を集めた背景にある、アメリカの政治地図の変化だ。これまで、80年の選挙で共和党のロナルド・レーガン候補が現職の民主党ジミー・カーター大統領に勝利して以来、アメリカでは人口の多い東西両海岸の諸州に民主党が強い支持基盤を持ち、中部から南部を共和党が押さえることがほぼ常態化していた。そのため、フロリダ、オハイオなどの「スイングステート」をどちらが押さえるかによって大統領選挙の帰趨が決する選挙が四半世紀にわたり続いた。しかし、今回の選挙では、バージニア、ノースカロライナ、コロラドなど伝統的な共和党の地盤までが民主党の手中に落ちる可能性が高まっている。これはフロリダやオハイオの「スイングステート」の結果を待つまでもなく、勝敗が決することを意味し、これによってアメリカの政治地図の塗り替えが、約30年ぶりに行われることになる。
その最大の原因を吉崎氏は、ブッシュ政権に対する失望の大きさの表れと分析する。特に、泥沼化する対イラク政策と、サブプライムローン問題に端を発する金融危機への無策ぶりが、アメリカ政治に新たな力学を持ち込む結果となっているという。
政治地図の塗り替えは一方で、オバマ氏の元に新たな政治勢力を結集させている。オバマ氏の強みは、民主党の伝統的な支持層である白人インテリ層と黒人層の他、「ミレニアルズ」と呼ばれる若者の熱狂的な支持を集めている点にある。ミレニアルズとは、2000年の千年紀に幼青年期を過ごした世代の俗称だが、この世代は人口に占める非白人の割合が4割に及ぶという特徴を持っている。2000年の国勢調査で、全人口に占める白人の比率が90年の約80%から約75%と下がったことが明らかになっているが、この傾向は若い世代では更に顕著となる。アメリカでは世代によっては、もはや白人をマジョリティとは簡単に呼べない状況が現出しているのだ。オバマ氏が新たに登場した非白人という巨大な政治勢力の支持を集めて大統領に当選することの意味は大きい。
吉崎氏はまた、オバマ氏の出自が明確に所属する集団を持たないことが、オバマ氏にとって有利に作用していると指摘する。マケイン氏のように星条旗を背負いアメリカのために戦ってきた政治家や、ヒラリー・クリントン氏のように、女性の解放のために戦ってきた政治家は、無条件で強力な支持が期待できる所属集団を持つ一方で、集団の外側には敵も多い。一方のオバマ氏は、イスラム教徒でケニア人の父と白人でティーンネージャーだったアメリカ人の母の間に生まれ、シングルマザーの母と母方の祖父母に育てられ、ハワイ、インドネシアと移り住んだ後、苦学してアイビーリーグの名門大学に進みながら、約束されていたエリートコースを捨てシカゴで貧困層のためのコミュニティサービスに身を投じてきた。白人でも黒人でもなく、ただのエリートでもないが、労働者階級出身でもない。こうした出自や生き方の選択こそが、オバマ氏が特定の集団の代表ではなく「みんなのオバマ」になりえている所以であると吉崎氏は指摘する。
しかし、それでもまだ一つの大きな問いが残る。もし、アメリカが選ぼうとしているのが、単なる民主党の候補でもなければ単なる黒人候補でもないとするならば、アメリカはこの選挙で何を選ぼうとしているのか。初の黒人大統領誕生という歴史的なこの選挙の持つ意味と、それによってアメリカが向かう方向にどのような変化が出るのかを、吉崎氏とともに考えた。