日本の国防政策は誰から何を守っているのか
軍事ジャーナリスト
1941年京都府生まれ。64年早稲田大学政経学部卒業。同年朝日新聞社入社。社会部記者、編集委員、「AERA」副編集長などを経て2004年よりフリー。米国ジョージタウン大学戦略国際問題研究所主任研究員、ストックホルム国際平和研究所客員研究員、筑波大学客員教授などを歴任。著書に『日本の安全保障はここが間違っている!』、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』、共著に『Superpowers at Sea』など。
去る4月、国会が年金や日銀総裁の人選、ガソリンの暫定税率論議でにぎわう中、参議院で歴史的なできごとが起きていた。野党主導の参院が、憲政史上初めて、外国との条約を否決したのだ。
4月25日、いわゆる思いやり予算として知られる在日米軍駐留経費の日本負担分を定めた新特別協定案を3年間延長する案が、参議院で否決された。日米協定は条約とみなされるため、憲法61条で外国との条約には衆院の優位が定められていることから、協定そのものは難なく延長されたが、民主党の支持率が自民党を上回り、政権交代が現実味を増す中、野党が思いやり予算を否決したことの意味は大きい。
思いやり予算は、元々日米地位協定で日本側に負担義務の無いはずの米軍駐留費用の一部を日本が負担することになった際に、法的根拠を問われた当時の金丸信防衛庁長官が、苦し紛れに「知り合いがお金に困っているとき、思いやりの気持ちを持つのは自然でしょう」とはぐらかした結果、「思いやり予算」と呼ばれるようになったというものだ。
日米地位協定では米軍が基地に使用する土地や施設の提供及びその補償費用以外は、全て米政府が負担することが明記されている。しかし、1970年代に入り、ドルショック以降の急激な円高やベトナム戦争の泥沼で経済的に疲弊した米国側から、基地で働く日本人職員の手当の杜撰さが批判されるようになった。基地従業員の労働組合との板挟みになった日本政府が1978年、年間62億円の日本人従業員の労務費の手当部分を負担することになったのが、事の始まりだった。
しかし、それが「蟻の一穴」(田岡氏)となり、その金額はその後ウナギ登りに増えていく。この4月の新協定延長を受けて、今年度日本側が負担する思いやり予算は2083億円にのぼる。その範囲は、当初の日本人従業員の手当部分を遙かに超え、今や全従業員の給与と手当の全額の他、光熱費や住居、娯楽施設の整備費などが全て含まれている。今国会でも、なぜ日本国民の税金で、米軍人や軍属のためのネイリストやゴルフ場のキャディーの給与まで払う必要性があるのかが、野党議員から追求されている。
軍事ジャーナリストの田岡俊次氏は、「思いやり」という法的な根拠もない理由で、支払う義務がないものを払い始めたことが、そもそも間違いの始まりだったと指摘する。そうでなくとも日本人にとっては不公正きわまりないと批判されることの多い日米地位協定にさえ負担義務が課せられていないコストまで、「思いやり」などいう意味不明の理由で負担をしてしまったために、その後米側から増額要求を突きつけられたときに、日本政府はそれを拒絶する根拠を失ってしまった。法的根拠などなくとも気前よく費用負担をしてくれる日本に対する米側の要求がエスカレートしないはずがない。
田岡氏によると、在日米軍の駐留に関する日本の負担分は、実際には思いやり予算よりも遙かに多く、政府が無償で提供している基地の地代なども含めると、既に年間6000億円を越えているという。ドイツや韓国などにも米軍は駐留しているが、日本の負担額は桁違いに大きい。
田岡氏はまた、思いやり予算が漫然と支払われてきた背景にある、「在日米軍は日本を守ってくれているのだから」という認識に、大きな事実誤認があると指摘する。在日米軍の戦力をつぶさにみれば、日本を防衛する目的にかなった装備や編成にはなっていないことは一目瞭然であり、むしろ実態としては、在日米軍を自衛隊が守るような状態になっていることがわかる。97年の日米防衛協力のための指針でも、日本の本土防衛の「プライマリー・リスポンシビリティー」(一義的責任)は自衛隊にあることが明記されているように、日本が在日米軍の駐留を必要としているとの認識は、「冷戦体制下でできあがったある種の思考停止状態」に他ならないと、田岡氏は嘆く。
また、台頭する中国や暴発の危険をはらんだ北朝鮮の脅威に対応するためには在日米軍が必要との主張に対しても、実態を見れば、朝鮮半島から徐々に米軍は引き上げており、米国が、中国や北朝鮮、ロシアなどをもはや重大な脅威とはみなしていない事は明らかだ。むしろ、日本が気前よく思いやり予算などを払ってくれるので、米国は経費削減目的で軍隊を日本に駐留をさせているのが実態なのだと、田岡氏は怒る。
しかし、今回野党が思いやり予算を否決したことで、もし野党が政権の座についたときに、思いやり予算問題、ひいては在日米軍問題にどう対応するかも、大きな争点になる可能性が出てきた。思いやり予算問題への対応が、日本が日米同盟のあり方に対する思考停止から抜け出すための、一つのきっかけとなるかもれない。
今回は、思いやり予算の経緯と中身を検証し、そこから透けて見える現在の日米同盟が抱える矛盾や今後の日本の戦略を、日本屈指の防衛専門家の田岡氏と、じっくり議論した。