アイドル論から見たジャニーズ問題
コラムニスト
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2020年01月01日00時00分 (期限はありません) |
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1960年三重県生まれ。77年明治大学付属中野高校中退。85年、共著『週刊本/卒業KYON2に向かって』を出版し注目を浴びる。コラムニストの他、編集者や小説家、脚本家、プロデューサーとしても活躍。著書は『東京トンガリキッズ』、『アイドルにっぽん』、『女の読み方』など。
5回目の金曜日がある月はマル激が普段扱わないような異色のテーマを意欲的に取り上げる5金スペシャル。今年4度目にして最後の5金となる今回は、ゲストにコラムニストの中森明夫氏を迎え、かつてなく軟派なテーマ、「アイドル」をマル激なりの流儀でとりあげてみた。
稀代のアイドル評論家として80年代からアイドルとそれを取り巻くユースカルチャーと深く関わってきた中森氏は、70年代の南沙織から山口百恵、キャンディーズ、ピンクレディー、80年代の松田聖子から、中森明菜、岡田有希子、おにゃん子クラブ、そして、90年代の宮沢りえから小室ファミリーにいたるまで、アイドルたちがその時代時代をリードする様をつぶさに観察してきた。
その中森氏は「アイドルは時代の反映ではない。時代こそがアイドルを模倣するのだ」を持論とするが、さりとて、その時代時代の政治、経済、社会情勢が、アイドルたちの中に色濃く見て取れる点も鋭く指摘してきた。
例えば、中森氏が「日本人アイドル第一号」の称号を与えている南沙織のデビューは1971年。オイルショックとドルショックで戦後の日本を引っ張ってきた高度成長神話が壊れる一方で、日本は公害や労働争議、政界汚職など高度成長の陰で進行していたさまざまな問題に喘いでいた。翌年の浅間山荘事件では、左翼イデオロギーの成れの果てがあらわになった年でもあった。この成長神話と左翼イデオロギーの2つの神話が終焉した年に、日本人は沖縄から南の風に乗って颯爽と登場した南沙織という偶像に熱狂せずにはいられなかったと、中森氏は言う。
もちろん南沙織の前にもアイドルはいた。しかし、そもそも中森氏は、南沙織以前のアイドルは「スター」であってアイドルではないと言う。「日本がまだ貧乏な頃、日本の夜は暗かった。暗い日本の夜空にはスター(星)が必要だった」と、それまでの時代の要請は、歌もうまく演技もできるきら星のようなスターだった。しかし、南沙織以降、日本人は歌がうまいわけでもなく演技ができるわけでもないアイドルという名の偶像を求めるようになったと中森氏は指摘している。
そして、時代の鏡としてのアイドルの系譜は、70年代後半の低成長時代の混沌の中を駆け抜けた暗い目をした山口百恵、そして空疎に明るいバブル期の松田聖子らへと引き継がれていく。
しかし、2000年に入り、突如としてアイドルが消える。冷戦が崩壊し、テレビがお茶の間から消え、携帯電話の浸透などによって、生活様式が過度に多様化し蛸壺化、島宇宙化する中、日本人全体を束ねる共通前提が消滅したことが直接の原因だと中森氏は言う。
また、その一方で中森氏は、2000年代の最大のアイドルは小泉純一郎かもしれないと、アイドル不在の時代に空席となったアイドルの座が政治利用される危険性にも警鐘を鳴らす。
共通前提が無くなり、多くの日本人が同じものを可愛い、格好いいと思えなくなったアイドル不在の時代とは、一体どういう時代なのか。逆に、ヒラヒラの衣装に身を包んだティーネージャーの、作られた偶像に国中が熱狂するアイドル全盛の時代とは、一体何なのか。そして次はどのような時代がわれわれを待ち受けているのか。
懐かしいアイドルグッズとともに、70年代から現在までのアイドルの系譜とその時代の深い関係を、元祖「新人類」のカリスマ評論家中森氏ととことん語り合った。