日本は生殖技術で子どもをつくることが当たり前な社会へ向かうのか
明治学院大学社会学部教授
1940年東京都生まれ。64年学習院大学政経学部政治学科卒業。同年、日本郵船に入社。取締役欧州大洋州事業部長、副社長などを経て、02年より顧問に。03年、財団法人徳川記念財団を設立し、初代理事長に就任。07年、WWF(世界自然保護基金)ジャパン副会長に就任し現在にいたる。著書に『江戸の遺伝子』。
グローバル化が進み、日本的なものが失われつつある現在、逆に日本人らしさや、日本の良さを見出し、日本の古きよき伝統を再興しようと言う動きも活発化している。だが、清廉で、公徳心にあふれ、勤勉で、礼儀正しく、自然への感性が高く、きれい好き。「古き良き日本人の美徳」として頭に浮かぶものの多くは、実は江戸の文化にそのルーツを見いだすことができる。にもかかわらず、現在にいたるまで江戸は、明治維新で薩長が徳川幕府を倒して新政府を樹立して以来、十分に正当な評価を得てきたとは言えないのではないだろうか。
そうした認識の上に立ち、今週は家康公から18代目の徳川宗家当主であり、財団法人徳川記念財団の理事長でもある徳川恒孝氏をゲストに迎え、今も日本人の心に染みついた江戸のDNAとは何なのかを探ってみた。
渡航経験が豊富な徳川氏は、「江戸」に対しての、日本と海外の評価のギャップに何度も驚かされたと言う。日本では、江戸時代といえば、武士が一切の権力を握った封建制度下で、士農工商の身分差に縛られた自由のない暗黒時代という評価が一般的だ。一方、海外では、265年という世界史上まれな長い平和と繁栄を維持し、次の政府へ平和的禅譲を成し遂げたというユニークな時代として高く評価されている。「日本の発展は明治から」という色眼鏡をかけていない海外の研究者にとっては、パリやロンドンが50万都市だったころに、人口100万人を越える文化都市に発展していた江戸とは、大いなる謎であり、「なぜ、繁栄の基礎を築いた徳川家康公の銅像が東京にはないのか?」とたびたび尋ねられたと徳川氏は語る。
事実、江戸は、その当時、世界随一の文化都市であり、髪の毛までリサイクルする環境循環型社会であり、全国からあらゆる人とものが集まる物流拠点であったと徳川氏は語る。そして、日本に蔓延する「鎖国政策で世界から孤立」や「思想統制が厳しく、出版業は振るわなかった」、「自然災害の連続で農民は飢えの恐怖に怯えていた」、「各藩の分立で国内の自由な往来は困難」などの江戸時代についての悪いイメージの多くは誤解であると、例を挙げて反証し、江戸の社会の豊かな側面を描き出す。
では、その繁栄を支えた江戸幕府260年の体制の安定は、なぜ、維持できたのか?
幕府の巧みな統治システムはもちろんだが、徳川氏は、支配階級の高い倫理感と、町人・農民にまで浸透していた「公儀」という役割分担が、その謎を解く鍵ではないかと指摘する。そして、21世紀の現在を生きる日本人にも、その精神は密かに受け継がれ、「江戸の遺伝子」として残っているというのだ。
良くも悪くも“日本人らしさ”として語られる江戸のDNAとは何なのかを、徳川氏と議論した。