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大和総研主任研究員
1977年東京都生まれ。99年早稲田大学法学部卒。同年司法試験合格。学生時代より、NGOアムネスティ・インターナショナルの一員として、国際人権条約設定や在タンザニア難民キャンプでの支援活動、南アフリカの差別撤廃機関の調査などに従事。フジモリ元大統領虐殺被害者代理人やイラク人質事件代理人などを務め、名古屋刑務所受刑者死傷事件や都立板橋高校卒業式事件の弁護団にも加わっている。『憲法行脚の会』事務局長。
自公連立与党は5月14日『国民投票法』を単独で可決した。これで、日本国憲法第96条に定められた憲法改正に必要な国民投票の手続きが確立された、とメディア上では解説されている。
しかし、その成立過程や条文の内容を詳細に検証してみると、その説明を額面通りには受け止められない数々の問題点が浮き彫りになってくる。
この法案をめぐる議論は、少なくとも2006年末までは国会の憲法調査特別委員会を舞台に「立憲主義の前提」に立った良識的な議論が、改憲に反対の社民・共産党も含めて、淡々と続けられてきた。手続き法とはいえ、国の根幹に関わる問題である以上、過半数を制した勢力による専横が許されないことは言うまでもない。党派制を超えた、抑制の利いた冷静な議論が進められてきたといっていいだろう。
ところが、今年年頭に安倍首相が、憲法改正を参院選の争点にすると発言して以来、憲法問題が政局に翻弄されることになる。予算審議が終わった3月以降、国民投票法案をめぐる審議は、当初安倍首相が設定した「5月3日の憲法記念日まで」の期限に向かって一気に爆走を始める。
4月12日、怒号が飛び交う中、衆議院憲法調査特別委員会で採決が強行され、連日6時間に及ぶ異例の審議の末、与党参考人たちからも上がった「慎重な審議を」の声を無視し、5月14日、国民投票法案は参議院本会議で可決、成立した。
この法案の国会審議を傍聴し、自身のブログでその一部始終を報告してきた弁護士の猿田佐世氏は、法案をめぐる国会審議を、「国民不在」の一言で一蹴する。特に年頭の安倍発言以降、「立憲主義」の意味すら理解できていない人たちによって、この法案の審議はずたずたに切り裂かれてしまったと猿田氏は残念がる。
国民投票法が政争の具になったことの最大のツケは、明らかに穴だらけの法案が、そのまま法律になってしまったことだ。国民投票法案をめぐっては、憲法調査会・特別委員会で5年余り自民党の船田元氏と民主党の枝野幸男氏を中心に議論が続けられてきた。しかし、最低投票率の是非や投票年齢の20歳から18歳への変更など、多くの論点が未解決のまま、拙速に法案が採決されてしまった結果、「法案は通ったが細部はこれから議論」というような馬鹿げた事態に陥っているのが、国民投票法の実情なのだ。
しかし、皮肉なことに、改憲を旗印にしたい安倍首相の号令の元、与党は民主党を置いてきぼりにして国民投票法を可決したことで、実際の改憲の可能性はかえって遠のいた。民主党の支持無くして、憲法改正案の発議に必要な参院の3分の2を押さえることは事実上不可能だからだ。安倍首相こそが「最大の護憲派」と揶揄される所以はそこにある。つまり、安倍氏の改憲論は、改憲論者であることのアリバイを優先しているだけで、実際の改憲はどうでもいいのではないかと、真性の改憲論者が訝るようなレベルのものだということだ。
一方の民主党も、憲法を争点にされると党内で意見が割れる可能性や、改憲に舵を切ることで、来る参院選に政治生命を賭ける小沢代表にとっては、社民党との選挙協力が難しくなるなど、多分に政局的な事情を優先した結果、自民党内では「譲りすぎ」との批判を受けるところまで船田氏が歩み寄ってきたにもかかわらず、その妥協案を民主党は蹴っている。小沢氏の指示は「民主党案の丸呑みでなければダメ」だったと言われている。
要するに、自民、民主両党ともに、参院選を控えた政局的な判断によって、国民投票法案という改憲手続きを規定する法案を、「何が国民にとって最善か」とは無関係に、単なる政争の具として弄んでしまったということになる。最低投票率の規定も無いまま、低投票率の国民投票で仮に憲法改正に有効投票数の過半数が賛成したとしても、そこで成立した憲法改正案など、正統性に疑問が生じることは目に見えている。国民投票法は政局上の都合から形だけは通っているが、実際はまだこれから多くの審議を必要としている欠陥法案と言っても過言ではない状態にあるのだ。
「憲法に関わる問題くらいは無関心ではまずい」と考え、「メディアが伝えてくれないなら自分で伝えよう」との思いで、自ら国民投票法案の審議を傍聴し、議員にロビーイングを行いながらこの法律の成立過程を間近で見守ってきた弁護士の猿田氏とともに、政局に翻弄された国民投票法審議の舞台裏から、「こんなことで本当に日本人に憲法が書けるのか」という日本にとっての根本問題を議論した。