急激すぎる経済成長が韓国にもたらした超競争社会と超少子化から日本が学ぶべきこと
ニッセイ基礎研究所上席研究員、亜細亜大学創造学部特任准教授
東京生まれ。75年東京大学経済学部卒業後、日本長期信用銀行に入社。米スタンフォード大学でMBAを取得。82年米ペインウェーバー・ミッチェルハッチンスに入社。現在、米JSA、(株)オリゾンティ、(株)ジャングル、(株)トライピボット取締役を兼任。著書に『超・格差社会アメリカの真実』。
日本では「格差社会」論争がたけなわだが、自由競争の導入による貧富の差の発生は、日本のアメリカ化の一環と見ることもできる。アメリカは所得上位5%の人口が、全体の約6割の資産を独占する、世界でも有数の格差社会という一面を持つ。
在米26年間でアメリカの富の偏在ぶりをつぶさに見てきた経営コンサルタントの小林由美氏は、近著『超・格差社会アメリカの真実』の中で、日本とは比べものにならないほど大きな格差を抱えるアメリカ社会を感性鋭く描いている。その小林氏は、現在のアメリカは、所得100億円以上の「特権階級」、10億円クラスの「プロフェッショナル階級」、所得数百万円でも日本でのような生活の安定が望めない「貧困層」、スキルが無く将来の見込めない「落ちこぼれ」、という4つの階層に分かれ、かつて日本人の多くが憧れたアメリカの豊かなな中産階級は消滅しつつあると言う。
ところが、小林氏はもう一つ重要な点を指摘する。これだけ格差が拡大していても、まだアメリカには独特の開放感があり、そこでは一人一人が幸福を感じながら生きることが可能だと言うのだ。
その一方で、現在必死にアメリカの後追いをしているかにみえる日本では、小林氏のいう「心地良さ」とは縁遠い人々が蔓延している。共同体主義が依然として強く残る日本の社会は抑圧的で、自分の幸せを追求することが難しいというのだ。
この先日本は、アメリカ的な価値観や社会の流動性を受け入れることで、アメリカのようにより心地の良い、幸せな社会へと変貌を遂げられるのだろうか。それとも、居心地の悪さを残したまま、ただ格差だけが広がっていくことになるのだろうか。あるいは、アメリカ式の社会変革はそろそろ再考した方がいいのだろうか。
国家や共同体の繁栄よりも個人の幸せを優先する個人主義の国アメリカとは社会の基盤が大きく異なる日本が、アメリカ式の自由主義を実践した時に、その社会には何が起きるのか。アメリカの現状をもとに、現在進みつつある日本のアメリカ化の行く末を考えた。