マル激300回記念特別番組 2006年これだけは言わせろ!
ジャーナリスト
衆院議員
再びいじめが社会問題としてクローズアップされている。前回と同様、今回も小・中学生のいじめ自殺がきっかけだった。今回は大臣宛に自殺予告の手紙が届くなど、いじめ問題が実はほとんど改善されていない実態を露呈している。
「いじめの社会理論」の著者で、学校におけるいじめ問題に詳しい社会学者の内藤氏は、学校が「聖域」として扱われ、一般の市民社会から隔絶されてきたことが、日本でいじめが無くならない最大の要因だという。
社会から切り離された空間のなかでは、一般社会では認められない暴力や人格を傷つける行為が行われても、隠蔽や感情論に基づく対応がまかり通ってしまうからだ。
内藤氏はまた、日本では学校が単に勉強を教える場としての役割だけではなく、情操教育まで担うことを期待されてしているため、授業の他、スポーツや課外活動までが、全て学校という場で行われる点がいじめ発生のメカニズムに寄与していると指摘する。子供にしてみれば、朝から晩までを過ごす学校に全人格を握られる形となっているため、不快に感じる相手を排除したり傷つける行動も招きやすくなるし、いじめられる側も、他に逃げ場が無くなる。
海外でも、学校に共同体全体主義的な役割を担わせている米、英、スウェーデンなどではいじめが多く、勉強に特化した予備校型のドイツやフランスではいじめが明らかに少ないというデータもある。内藤氏は現在の日本の教育制度を、米英型の中でも「突出した共同体全体主義型」と位置づける。
こうした現状をふまえて内藤氏は、いじめを無くすためには、第二性徴後自立の道を歩もうとする子供を、むしろ押さえつけようとしている現在の学校の制度、とりわけ中学校の制度を、より選択と自己責任に基づく制度にあらためていく必要があると主張する。
また、現在のいじめ問題がより緊急の課題となっているとの立場から、短期的には、暴力的ないじめに対しては警察や裁判所の介入によっていかなる理由があろうとも暴力は許されないという市民社会では当たり前の基準を学校でも徹底すること、40人ほどの他人を無理矢理同じ部屋に閉じこめて1日中一緒に過ごさせる現在の学級制度を廃止し、クラスメート以外にも「タコ足配線的」(1本の足が取れても他にたくさんの足がある=一部のクラスメートから無視されたりのけ者にされても、他にいくらでも友達が作れる状態)に色々なタイプの人とつきあえるような柔軟な制度に変えることが必要と主張する。
なぜ人はいじめるのか。なぜいじめは起きるのか。いじめ発生のメカニズムを解くことで、いじめを無くすために短期的、長期的に何をすべきかを内藤氏とともに考えた。