先月15日オウム真理教の教祖麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑が確定し、96年の初公判から10年半近く続いた裁判に終止符が打たれた。一方、名前をアーレフに改称した教団は、教祖への帰依から脱却し新しい教義に基づく教団を目指すM派(上祐派)、松本被告の三女を担ぐA派(反上祐派)、まだ態度を決めていない中間派の3派に分裂状態にある。
オウム真理教時代に教団の表の顔としてメディアに頻繁に登場し、逮捕・出所後はアーレフに改称した教団を代表として率いてきた上祐氏は、現在の分裂騒動はそのまま麻原教祖への帰依の度合いを反映していると説明する。神格化された教祖への帰依から脱し、新たな方向を探る人々が上祐氏のもとに集まる一方で、その行為を教祖への裏切りと見て、教祖とその後継者とされる松本氏の三女への帰依を続ける人々が、A派(三女の宗教名のアーチャリーの頭文字をとったもの)を形成しているというのだ。
10年以上もの間麻原教祖に心酔し、その権威を絶対視していた上祐氏自身は、偽証罪等の罪で服役中に、教祖の預言の矛盾や不規則発言に対する疑念が頭をもたげ始め、出所後にオウムの起こした事件を自分の中で総括するうちに、松本被告の神格化が教団の暴走を許した大きな原因であったとの結論に達したと言う。「元代表(麻原教祖)は霊的な能力は強かったが、それがイコール神様となることの矛盾に、その時は気づかなかった。霊的なるものへの免疫ができていなかった」上祐氏はそう振り返る。
また、この期に及んで宗教教団を維持している理由について上祐氏は、「世間から絶対悪とされた自分たちでも、変われることを示す」ことが事件の遺族や被害者への償いの必要不可欠な部分になるとの考えを示した。と同時に、今後、松本被告の死刑が執行された際に心の拠り所を失った信者の受け皿も必要になると説く上祐氏は、来年早々にも新しい教団の設立を計画中であることを明らかにした。
それにしても、なぜたった一人の、傍目には子供じみた発想しか持ち得ていないようにさえ見える教祖が、地下鉄サリン事件など日本犯罪史の中でも前代未聞の凶悪なテロ事件を引き起こすまでに、一宗教教団を先鋭化することが可能だったのか。あれだけの大事件を起こした教団が、教祖を乗り越えて、その体質を根本から変えることなど本当に可能なのか。分裂騒動に揺れる中で、賠償問題は今後どうなるのか。上祐氏に一つ一つ問いただす中で、オウム事件を今改めて再考した。