関東大震災から100年の節目に考える地震と原発と日本
元裁判官
1944年大分県生まれ。67年東京大学法学部卒業。69年弁護士登録。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表、飯塚事件弁護団共同代表。著書に『感染症と差別』、編著に『ハンセン病絶対隔離政策と日本社会』など。
日本の死刑制度の是非が問われる事態が相次いでいる。
先月、死刑判決を受けていた袴田巌さんの再審無罪が確定したのに続き、今月13日には「日本の死刑制度について考える懇話会」が現行の死刑制度の問題点を指摘する提言をまとめている。学識経験者のほか、林眞琴・元検事総長や金髙雅仁・元警察庁長官、与野党の国会議員やメディア関係者などが参加して今年2月から議論を重ねてきた同懇話会は、「現行の日本の死刑制度とその運用の在り方は放置することの許されない数多くの問題を伴っており、現状のままに存続させてはならない」と提言した上で、政府や国会に死刑制度の存廃や改革を議論することを求めている。
法制審議会の前会長で同懇話会の座長を務める井田良・中央大学大学院教授は記者会見で、「無辜を処刑してしまうということが事後にはっきり明らかになったという時には、おそらくもはや死刑制度というのは維持できないことになると思う」と述べている。
袴田さんは今年、ようやく再審で無罪が確定したが、刑が確定してから再審決定が下るまでの44年間、いつ死刑が執行されてもおかしくない状態に置かれていた。また、この番組でも取り上げたことがある「飯塚事件」では、冤罪の可能性が指摘される中、死刑の執行が強行され、現在遺族による再審請求が行われている。
しかし、もう1つ、裁判自体の違憲性が指摘されながら、死刑が執行されてしまった「菊池事件」をご存じだろうか。
菊池事件とは、政府がハンセン病患者に対して、過酷な隔離政策を推進し、官民一体となって患者をあぶり出す運動を展開していた1952年、ハンセン病患者を通報した村役場の元職員が殺害されたという事件。ハンセン病患者の男性が、通報されたことを逆恨みして殺したことが疑われ、予断と偏見に満ちた裁判の末に死刑判決が下された。本人が無罪を主張し再審を求めたが、1962年に死刑が執行された。
弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は、凶器の点からも、犯人逮捕の決め手となりその後うやむやとなった親族の証言の点からも、この事件は冤罪である可能性が高いと指摘する。そして、さらに問題なのは、この裁判自体が後に憲法違反と判断されているという事実だ。
この事件の裁判は、被告がハンセン病患者であることを理由に、ハンセン病療養所菊池恵楓園に設けられた「特別法廷」で事実上非公開のなかで行われた。特別法廷は裁判所外で開かれる法廷のことで、大災害などで裁判所で裁判が行えない場合に、裁判所外の特別法廷で裁判を開くことが裁判所法で認められている。ハンセン病患者の裁判では、隔離先の療養所や専用の刑事施設に特別法廷が設けられ、1948年から72年の間に95件の裁判が開かれた。
しかし、最高裁は2016年、隔離目的でハンセン病療養所内で開かれた「特別法廷」が裁判所法に違反し、差別的な扱いは違憲だったことを認め謝罪している。また、菊池事件については、その後提起された国賠訴訟でも裁判が違憲であったことが確定している。
また、ハンセン病患者を強制隔離することを目的とした「らい予防法」については、1996年の法律廃止後に国賠訴訟が提起され2001年当時の小泉首相の控訴断念で、憲法違反であったとする熊本地裁判決が確定している。
こうした事態を受けて、菊池事件では現在、遺族が再審を求めており、地裁と検察、弁護団の三者協議が続いている。後に違憲とされた裁判で死刑が確定し刑が執行されてしまったこの事件で、もし再審が行われ無罪判決が出た場合、まさに「日本の死刑制度について考える懇話会」の井田良座長が指摘する「もはや死刑制度というのは維持できないことになる」事態が起きることになる。
人が人を裁く裁判では必ず間違いが起きる。しかし、一旦死刑が執行されてしまえば、もはや取り返しがつかない。
菊池事件、そしてハンセン病療養所内の特別法廷とは何だったのか、その背景にある差別とは、そしてこの事件が突きつける死刑制度の問題とは、などについてハンセン病国賠訴訟の共同代表でもある徳田靖之弁護士と社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。