第三者「御用」委員会が後を絶たないのはなぜか
弁護士・第三者委員会報告書格付け委員会委員長
1958年東京都生まれ。82年東京大学法学部卒業。81年司法試験合格。84年弁護士登録。95年「伊藤真の司法試験塾(現・伊藤塾)」を設立し塾長に就任。「一人一票実現国民会議」発起人。著書に『平和憲法の破壊は許さない』、『9条の挑戦』など。
衆議院選挙が明日に迫った。
マル激では総選挙と同時に行われる最高裁判所の国民審査に際して、有権者に必要な判断材料が提供されていないとの考えの下で、毎回、審査対象となる最高裁裁判官がこれまでどのような事件に関わり、どのような判断を示してきたのかを提供してきた。最高裁判所の国民審査が、一般国民が裁判所に対して何らかの意思表示を行うことができる事実上唯一の手段になっているからだ。
しかし、最高裁国民審査には本質的な問題がある。それは審査対象となる裁判官が前回の国民審査、つまり総選挙以降に任命された新任の裁判官に限るということだ。審査対象となる裁判官はいずれも任官後3年以下であり、中には数カ月しか裁判官を務めていない人もいる。それを審査しろというのはもともと無理な話なのだ。
しかも、最高裁の裁判官は一度審査を受けると次は10年後まで審査を受けない。裁判官の任官時の年齢がほぼ全員60代であり、最高裁裁判官の定年が70歳であることから、2度審査を受けることになる裁判官は事実上存在しない。つまり、国民審査というのは名ばかりで、最高裁の裁判官として重要な決定を下した経験のない、つまりこれまでの経歴以外にほとんど判断する材料が何もない、任官したての裁判官を信任するか不信任とするかを決めるしかない制度なのだ。これは形骸化以前の、制度の根本的な欠陥と言わなければならない。改善すべき点は簡単で、10年に1回などというルールを撤廃し、毎年15人全員を審査対象にすればいいだけのことだ。日本の司法が国民の信任を得るためにも、制度の改善が待たれる。そして、それは法律を作る国会の仕事ということになる。
今回のマル激では国民審査の対象となる最高裁裁判官の限られた数の判決記録を掘り起こすとともに、弁護士の伊藤真氏をゲストに招き、司法問題全般についても議論した。なぜならば、昨今、国際的にも国内的にも現在の日本が抱える最も深刻な問題と考えるべき司法の問題が、明日迎える総選挙ではほとんど各党の公約に取り上げられてさえいないからだ。58年ぶりに再審無罪となった袴田事件の判決では警察と検察による証拠の捏造が厳しく断罪されている。また、大川原化工機の冤罪事件や高裁で再審決定が出された福井女子生徒殺人事件では、いずれも警察や検察による事実上の事件のでっち上げや被疑者に有利な重要な証拠の隠蔽などが指摘されている。今回の総選挙は日本の刑事司法の病理がいやというほど噴き出すさなかに行われている国政選挙なのだ。
言うまでもなく長期の勾留と弁護士の立ち合いが認められない過酷な取り調べに加え、メディアにあることないこと情報を非公式に漏らして報じさせるリーク報道によって被疑者を自白に追い詰めていく日本の人質司法は、国連の人権委員会や拷問禁止小委員会などでも繰り返し問題視されてきている。
にもかかわらず、今回の総選挙では司法問題、とりわけ目に余る警察の権力の濫用や冤罪連発の原因となっている検察による自分たちには不都合な証拠隠し、そしていたずらにハードルが高い再審法の改正が、議論の遡上にさえあがっていない。
伊藤弁護士は、司法の問題が政治的争点にならないのは、票にならないからだろうと指摘する。
これは日本人の正義観や民度にも直結する問題になってしまうが、まだ日本人の多くが「100人の罪びとを放免しようとも1人の無辜の民を刑することなかれ」の意味、つまりなぜ推定無罪が民主政の要諦なのかを十分に理解できていないということなのかもしれない。しかし、それを認めてしまっては、日本という国では正義が貫徹されていないことを認めることになってしまう。
国民の側から警察や検察の暴走を制御しろという強い要請があるわけでもなく、かといって司法の問題に真剣に取り組んでも票や金になるわけでもない。しかも、既存のメディアもその司法体制の一翼を担っているため、それを批判することはメディアを敵に回すことにもなってしまう。政治と金とか景気のようなわかりやすいテーマがいくらでもあるときに、そんな面倒くさいテーマをわざわざ取り上げようという奇特な政治家や政党はほとんどいないというのが、現在の日本の現状なのだ。
袴田事件の無罪判決を受けて畝本直美検事総長は10月8日、控訴を断念する談話を発表したが、その談話の大半は無罪判決に対する批判や不満の表明に費やされているという驚くべき内容になっていた。伊藤氏は、間違いを犯さないことが国民への信頼につながると検察が勘違いしていることが問題だという。捜査機関による証拠の捏造などあってはならないことだが、実際に起こってきた以上は、証拠がないのに有罪とされる人が出てきてしまう。そうなった時に、人権を守るための再審が速やかに開始されるように整備されなくてはならない。
法の番人としての最高の権力の地位にあり、人権の最後の砦でもある最高裁の裁判官の審査は、そうした状況の下で行われることになる。
国民審査では辞めさせたい裁判官がいれば投票用紙に「×」を書くが、そもそも空欄で提出すれば「信任した」とみなされてしまう。情報がないため誰に×をつければいいかわかないから全部を空欄で出せば、信任、つまり今の最高裁は本当によくやってくれているという意思表示をしたことになってしまうのだ。
今回審査の対象となる6人の中には最高裁判事としての実績がほとんどない人もいるので、今回のマル激では少し対象を広げて、前回の総選挙以降に最高裁が判決や決定を下した重要な事件を取り上げ、その中で今回の審査対象となった裁判官の判断内容を同時にチェックした。
判決としては今回は以下のものを取り上げた。
・名張毒ぶどう酒事件再審請求事件
・1票の格差を放置したままの選挙の無効を訴える訴訟2件(伊藤氏が代理人を務める)
・経産省のトランスジェンダー女性にトイレの利用制限を科したことの是非を争う裁判
・『宮本から君へ』で出演者の1人が薬物事件で逮捕起訴されたことを理由に助成金を取り消したことの是非を争う事件
・沖縄県の意思に反して国が辺野古の基地建設のための埋め立て許可を代執行したことの是非を争う訴訟
・犯罪の犠牲になった同性パートナーに犯罪被害者給付金を給付するかどうかをめぐる裁判
・旧優生保護法下で不妊手術などを強制された被害者に対する補償に除籍期間を適用することの是非を争う裁判
・性同一性障害の人が性別を変更するための手術要件が違憲かどうかをめぐる裁判
日本が抱えている司法の問題とは何か、なぜこれだけ問題を抱えていながら、政治は一向に動こうとしないのか、冤罪をなくすために何が必要なのか、最高裁国民審査のポイントなどについて、弁護士の伊藤真氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。